論理の流刑地

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【備忘】村上春樹・柴田元幸『本当の翻訳の話をしよう』(2019)

本当の翻訳の話をしよう

本当の翻訳の話をしよう

  • 発売日: 2019/05/09
  • メディア: 単行本

Introduction

大御所(と見られることは本人は嫌がられるだろうけど)村上春樹が東大名誉教授であり英語の文学翻訳の第一人者でもある柴田先生と翻訳について語りつくした書。
自分は失礼ながら殆ど村上春樹の書いた小説をよんだことはない*1けど、とても面白かった。

総評としては、とにかく二人とも翻訳が好きでしょうがないんだな、っていうところが滲み出ている点が、この本全体を貫くポジティブな雰囲気をつくりあげていてGoodだった。
たぶん彼らは英文に対する訳文をいくつか並べてワイワイ話しているだけで6時間くらい酒が飲める人種なのだな、と感じる。
最終章では同一の英文に対して、村上訳 vs 柴田訳を併置してお互いの違いをひたすら検討していくのだが、それがとても楽しそうでよい。
本だからもちろん彼らの表情をとらえる映像はないんだけど、それでもこの話をしているときの二人は笑みが絶えなかったんだろうなって感じがするのである。

時間をみつけて、柴田先生や村上さんの訳したものが読みたくなるような本でした。
....とか言いつつも、個人的に心に引っ掛かるのは翻訳そのものの話じゃなくてトリビアルなエピソードだったりするので、それを以下に備忘。

印象に残った箇所の備忘

明治の翻訳における漢学の役割

この本は基本的に村上と柴田両氏の対談本なんだけど、中盤に柴田先生が明治時代の翻訳事情について解説した講義録が一章収録されていて、これがとても面白かった。

江戸時代までの鎖国状態から一気に海外のものを摂取していく流れになるのが明治という時代。
しかし急激な変化のなかでは、欧州由来のことばに対して既存の言葉では適切に対応付けができない、ということが起きるわけである。
ここで重要な役割を果たしたのが、当時の知識人のなかに蓄積されていた漢学の知識であったという

森田思軒が挙げるいろんな例をみると、西洋語を訳す際に西洋対日本という対比だけでなくそこに中国、もしくは漢語が大きな要素としてあったことが伺えます。


明治時代に使われ始めた「自由」や「権利」といった言葉の出所は中国の古い文章だったりする。
そのいっぽうで、一見古い漢文からとってきたように思える言葉が、日本人が独自に組み合わせて作った言葉だったりもします。

「自由」や「恋愛」という語彙もなかった当時の日本で、あっという間に訳語ができていったのは、
日本人が漢語を使うことができて日本語にない西洋の単語に対し、古い漢文から拝借したり、適当に漢字を組み合わせて簡潔な訳語を作れたことが大きい
です。
このあたりは柳父章の「翻訳語成立事情」(岩波新書)などで詳しく述べられています。(p.114)


漢学が西洋の学問や文学に単純に置き換えられていったのではなく、前者があったからこそ後者の受容もうまくいった、という視点は目からウロコだった。
あと『翻訳語成立事情』も読みたくなってしまった。

二葉亭四迷の「あひゞき」の翻訳が当時の文学に与えた影響

「あひゞき」が後世に影響を与えたのは、なんといっても、この一節にみられるような自然描写です。
明治三十一年に国木田独歩が『武蔵野』を書いていますが、第三章では「あひゞき」を一ページ以上引用し、「あひゞき」を読んで武蔵野の自然美や、落葉林の美しさがわかったと言っています。


美しい風景があるから、そういう文章が生まれたのではなく、風景を愛でる文章があったから自然を見る目が生まれてくる、と。
これは二葉亭の文章の影響力を論じるときに誰もが触れるところです。
(p.109)

同時代人にここまで言わせる二葉亭四迷はすごいし、国木田独歩も律儀だなぁ、と。
あと、江戸までの紀行文にはあまり自然の美しさの描写ってなかったのかな、ということが単純に気になった。
青字の部分に関しては後述。

漱石に対する村上春樹の評価

明治期の作家は海外の文学を翻訳しながら摂取したことが文体に関して影響を与えているけど、夏目漱石は違うし完成度も高かったよね、というのが村上の評価である。

文体に対する提案といえば漱石が浮かびますが、漱石は漢文の知識と英文の知識、江戸時代の語りみたいな話芸を頭の中で一緒にして、観念的なハイブリッドがなされていたと思うんです。
だから漱石は翻訳をする必要がなかった。
(中略)
漱石は文体に対してコンシャスだったと思うんです。だから彼を超える文体を作る人はその後現れなかった
志賀直哉川端康成も根底にあるのは漱石の文体なんです。
(p.60-61, 発言者は村上)

漱石は和洋中すべての文体に通じそれを内部配合できた怪物だった、という。
なんかこういう評価をみると、漱石の作品を読み直したくなる(至極単純)

短編小説家を支えたアメリカ50'sの雑誌文化

pp.159-162あたりでは、なぜ1950年代のアメリカですぐれた短編小説(家)がたくさん出てきたか、という点に関しての時代背景が解説されている。

ウィリアム・ショーンが『ニューヨーカー』の編集長をやったり、ギングリッチがエクスファイアをやったりした頃は、
そういう雑誌を買って短編を読むというのが都市生活者の大事なスタイルだったんです。
それが50年代にピークに達して、その後はだんだん、雑誌はとにかく定期購読者を増やせ、広告を集めろ、中身はそれらしいものを入れておけばいい、という経営方針にかわっていく(p.160)


結局あの頃のアメリカはどこに行っても雑誌が置いてあったし、歯科医の待合室でもコミュートする電車のなかでも人は雑誌を読んでいた
サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(1951)でもホールデンは列車に乗る前に3冊くらい雑誌を買います。そういう文化があった(p.161-162)

『プレイボーイ』創刊当時(1953年)は、ヌードと同じくらい小説にも気合をいれていた、ということに触れられていて、はえーってなりました。

小説に重要なのは整合性よりも「引っ掛かり」

整合性なんてどうでもいいんですよね。
読んでる方は面白いキャラクターが出てきたり、ここが面白いという部分がいくつかあれば納得して読んで行けちゃうんだよね。
それは小説の力だと思う。
小説って、何かを5つ書いて、3つが効いていれば、あとの2つは外れてもいいんですよ。力さえあれば。
(p.240, 発言者は村上)

"偉大なるアメリカ"の落日に伴う小説側の変化

フィリップ・ロスの「偉大なるアメリカ野球」(The Great American Novel)をはじめとするユダヤ系作家の戦後の作品を輝かせていた"(当時の)米国社会の相対化"、という目線自体が1970年代になると有効性を失うよ、という話。

ユダヤ系独特の饒舌と自虐。その点ではナサニエル・ウエストという先達がいました。
早死にしたんで作品の数はあまり多くないのですが、『クール・ミリオン』なんかはアメリカン・ドリームの徹底的なパロディになっていて、『グレート・アメリカン・ノヴェル』と似ています。
アメリカの強さ、正しさを徹底的に笑いのめすという。
このあとになると、笑いのめす対象としてのアメリカのグレートネスというものが成立しなくなり、たとえばレイモンド・カーヴァーの時代になる。
(p.241, 発言者は柴田)

かの有名な「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が公刊されるのが1979年だけど、そういう他国への称賛というのも、米国社会の自画像が屈折していったこの70'sの動きと表裏一体なんだろうな...とか読みながら思った次第。

翻訳に求められるのは「自然な日本語」じゃないよ、という話

日本語と英語は1対1対応しないのが難しい...みたいな認識はすでに人口に膾炙しているけども、
じゃあぴったり符合するパーツがないなかで翻訳文を組み立てていくうえで、何を「保存」すべきか、という話。

村上:
翻訳というものは、日本語として自然なものにしようとは思わないほうがいいと、いつも思っているんです。翻訳には翻訳の文体があるわけじゃないですか。


柴田:
僕は文章のスピード感だったり、緻密な感じ、緩い感じ、自然な感じなどといったことを、原文と等価に再現したいと思っています。
自然な、誰にでもわかる文章が、自然でない訳文になってしまうことのないように気を付けたいと思っているわけです。
ところが、藤本さんの翻訳を読んでいると、そのあたりのことを考えすぎてもよくないのかなと思います。訳文をつまらなくするというか。


村上:
翻訳には翻訳の文体があっていい
僕が自分の小説を書くときの文体があり、そして僕が翻訳をするときの文体というものがあったとして、両者は当然違いますよね
(p.214)

村上さんは彼のオリジナルを創造することを日常的に行ってきた人で、柴田先生はあくまでもオリジナルを損なわないで日本に伝えることのみに専心してきた人なので、その差異が翻訳上の優先事項に反映されているな、と。

Conclusion

個人的に一番心に残ったのは、二葉亭四迷の影響についての柴田先生の言葉、
美しい風景があるから、そういう文章が生まれたのではなく、風景を愛でる文章があったから自然を見る目が生まれてくる」であった。

これって文学だけでなくあらゆる「見方」を提供する営み(科学もそうだし、他の芸術もそうだ)にも共通することだなと思う。


最近ハマって大人買いしてしまった「ブルーピリオド」で一番好きなシーンが、
絵を描く知識や技術をみにつけた主人公八虎が、初詣ですれ違った女性の鞄(金具にサビがある)を見て、これを描くにはどう工夫すれば..と考えた後に「錆って絵としてみるとかっこいいな」って気づくシーン(3巻)である。そこで、

まさか錆をかっこいいなんて思う日がくるとは....
....絵を描いてたから気づいたかっこよさだ
でも...絵を描いてるだけじゃ気づけなかったかっこよさ
かっこいいもんは世界に無限にある 俺がそれに気づけなかっただけなんだ

と八虎が思えたのは、彼が美大受験にむけて努力し、多くの優れた絵や絵画の理論に触れながら苦闘してきたなかで、現実を切りとる視角が彼の中に蓄積してきたから、なのである。

齢を重ね、現実的制約が眼前に迫るなかで崇高な理想を掲げづらくなっていくけど、望むらくは、仕事での自分のアウトプットが他の誰かにとってそういう役割を持てたらよい、と思いますね....



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Enjoy!!

*1:「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」だけはなぜか惹かれて購入して一気に読んだ。怒られそうだけど北大の久保先生も私と同じで、村上春樹のエッセイは好きだけど小説は読まない人らしくて、謎の安堵を覚えた