論理の流刑地

地獄の底を爆笑しながら闊歩する

インプットを続けていくためにこその"随時更新型アウトプット"

自分の考えを整理するための駄文ログ的なアレ。

Introduction: 継続できない私たち

齢を重ねると増える諸々の制約

哀しいことに人は齢を重ねる。
そして加齢に付随して、インプットに集中するような機会や時間の確保を阻害する以下のような要因が増えてくる。

  • 責任の増大に伴う様々な雑務の増加
  • 近しい人に関する予期しないtroubleへの対応
  • シンプルな体力・集中力の低下
  • 健康上の不安
  • 関わる人が増大することによる時間確保の困難化

などなど....

そして(これは一般的には当てはまらなくて怠惰な私だけなのかもしれないのだけど)さらに哀しいことに、加齢が必ずしも意志の強靭さをもたらしてくれるわけではない。
阻害要因が現れたときにそれを跳ね退けてでも「やると決めたもんはやる!」と当初の意志を貫くような力というのは、案外トシを食っても身についていないものである*1

だからといって、成長しないことが許される世間様でもないので(つらい.....)、
できうるならば、軟弱者フレンドリーなインプットの継続の仕組みをつくりたい、というのが課題意識としてあった。
我々に必要なのはハードルが低い凡人用のシステムなのだ。

haruki氏による「随時更新型アウトプット」の提案

先日スマブラAdventCalendar2020において、harukiさんが以下のような記事をかいていた。

scrapbox.io

彼の主張の要点は冒頭の以下の文に集約する

ブログやYoutubeの動画だと「完成系」「結論が出たもの」しかアウトプットしずらくて、なおかつ後から訂正が難しいからアウトプットのハードルが高い
かと言って、Twitterのアウトプットは手軽にできる反面、すぐに流れてしまうので後から参照しずらい → ストックにならない
その間を取って、既存のアウトプット方法に加えて、「完成してないもの」「結論が出てないもの」も気軽にアウトプットしよう

彼は、ハードルが高い「新しいトピックが出るたびに新しいページをつくる」ような類のアウトプットだけでなく、
1トピックに対してページを作ってそれを随時更新するというアウトプットスタイル(=随時更新型アウトプット)を推奨している。

多キャラ使いかつ関西の強豪プレイヤーであるりぜあす氏のブログは、通称「りぜあすメモ」と呼ばれ多くのスマブラプレイヤーにキャラ対策の教典として参照されているが、このブログのクオリティも”随時更新型アウトプット”であることにより実現されていると、haruki氏は分析している

これだけの量の攻略情報を1人で書いているのはおそらく、りぜあすさんくらい。
彼がこれだけアウトプットできたのも、「完成形をアウトプットする」スタイルではなく、「思いついたことを随時更新する」というスタイルにしているからだと思う。

りぜあす氏のキャラ対記事は現在10万字を超えているが、確かにこれだけのボリュームや質を最初から世に出す基準として彼が設定していたら、
この記事がこれだけの質・量を実現し、界隈からの不動の評価を得ることもなかったであろう。

以上のharuki氏の記事における指摘は、「アウトプットのハードルを下げる」重要性に焦点化したものである。
だが個人的にこの記事を読んでいて感じたのは、前項で触れたようなインプットの継続ができない軟弱者にこそ、この”随時更新型アウトプット"の発想はひとつの助けになりうる、ということであった。

どのような知識獲得の行為においても、恐らくインプットそのものが最終目的になることは殆どない*2
(たとえインプットそのものが最終目的である極端なケースにおいても、知識の内容を定着しやすくするため一旦外部記録媒体を使った編集工程の活用は効果的だろう)
したがって、結局はインプットにアウトプットが付随してくることになるので、インプットにおける軟弱者フレンドリーな継続可能性を担保するうえでも、こういった「アウトプットのハードルを下げる」工夫を活かすことができる

インプットを続けるためにはインプットのハードルを下げる必要がある
⇒ インプットのハードルを下げるための打ち手として、インプットしながら作り上げるアウトプットのハードルを下げていく、という論理ですね。

随時更新型アウトプットを活かしたインプットのシステムの作り方

ということで、(構成としてスマートではないけれども)順不同で、随時更新型アウトプットを継続的なインプットの仕組みに生かしていくためのポイントを記していく。

トピックごとの理解のログとメタな理解の記述ログを柔軟に往還する

あたりまえのことなんだけど、「今は知らないこと」だからこそインプットの対象になるわけである。
新しい領域の知識を獲得するということは、全く土地勘のない場所をあちこち往来しながら、手探りでその一帯の地図を描いていくようなものだ。

基本的に知識というのは、ひとつひとつの情報単体ではあまり意味を為すことはない。
知識構造の布置連関=ひとつひとつの情報単位の関係性のネットワークを為す体系、を理解していくことが「この分野のことがわかる」「この知識はもう自信をもって使える」という感覚につながる。

だから新しいことを学ぶときというのは、
① その分野・領域のひとつひとつの知識の正しい理解を獲得する
② 断片的知識の間の関連や配置構造を理解し、自分なりの知識のネットワーク図を作成していく

という二つのの工程が必要となってくる。

ここで我々(特に完璧主義者)がしばしば陥りがちな罠は、①→②という順番を固定的に考えてしまうことにある。
各トピックについての間違いのない「正しい理解」に達してから、その「正しい理解」を順番に配置していくことで全体構造を描こうとしてしまうのである。

しかし、このやりかたには二つの問題がある。
ひとつめの問題は、学習ログをつけるハードルの高さに関してだ。
つまり、ひとつひとつの知識単位に対する理解の「正しさ」を重要視しすぎてしまうと、その「正しさ」にある程度の確証の手応えを持たない限り、いつまでも次の知識単位のインプットや知識間のネットワークの記述にすすめないような陥穽にハマるのである。
だから、各トピック単位の知識に関しての理解ログ⇔よりメタな知識間の関係性の理解についてのログ、はある程度ゆるく往還可能な形に考えておくのが望ましい。
※「ネットワーク図の作成」とか「メタな知識間の関係性の理解」とかいう言葉をつかうと高尚に聞こえてしまうかもしれないが、知識間の関連や相対的布置を記述するあらゆる作業がそれにあたる。たとえば、(wikiやNotionで学習記録をつくっているとすれば)各トピックのログへのリンクを貼っている目次のページをつくることだって、「タグ付け」だって関係性の記述である。

ふたつめの問題は、知識自体がもつ内在的性質にかかわるものだ。
前述のように、各領域におけるひとつひとつの断片的知識は、それ単体ではなく他の知識との相対的布置や関係性の理解がなってはじめてその役割・意義が理解できるようになっていることも多い
知識A, 知識B, 知識C,,,,という区分けが一応あるとして、Aの単体のトピックの解説だけ読んでいてもピンとこなかったが、他のトピックの勉強をしているときにC⇔A⇔Bといった他の知識との関連性がわかり、知識Aが何たるかが急に理解できるようになる....という経験はだれしもがしたことがあるのではなかろうか。
なので(必ずしも間違っているというわけではないが)、知悉しているわけではない領域における知識のインプットにおいて厳格な(部分→全体の)ボトムアップ方式をとることは、妥当な理解に辿り着くまでの効率性や速度を低下させてしまうおそれがある。

じゃあどないすんねん!!ってことになるけど、そこで"随時更新型アウトプット"のアイディアが重要になってくる。
つまり、理解の最終形の出力をハナから目指すのではなく、「このトピックに関しての理解はここに置いておく」という場所だけは確保しておいて、暫定的な理解をひとまず残したまま、次のトピックのインプットや各トピック間の関係性の整理に移れるような柔軟性をもたせるうえで、”随時更新型”という考え方が効力を発揮するのである。

各トピックの「箱」だけ用意しておいて、暫定的・断片的な理解をひとまずそこに突っ込んでおきつつ、その「箱」の中身をfixせずとも各トピックが全体のなかでもつ役割や意義についてのメタな理解を構築する作業も同時並行で行う、というインプットスタイルである。

疑問だけでなく、あやふやで裏付けのない「暫定的理解」もリスト化して更新していく

(若干前項の内容とも重複するが)インプットの継続性・生産性を高めるうえでの随時更新型のログの活用で大事なのは、はじめから「正しい理解」だけを書こうとしすぎないこと、なのではないかと思う。


最近たまたま目にした以下のtweetでは、そういったスループットを軽視しないことの重要性にフォーカスがあてられている。

重要だと思った部分を抜粋する。

このように難解な数学ですが、ノートにテキストを書き写すだけでも、「わかったような気になる」ことはできます。
これは、「わからない」と「わかった」の間に位置するきわめて重要な状態で、「わかったような気になる」という状態を経なければ「わかった状態」に推移することはありません

要は、「わからない」と「わかる」を0→1の変化として捉えず、その狭間に一種の中間状態みたいなものを想定しておくことが、とても重要なのである。

「新しい領域の知識を獲得するということは、全く土地勘のない場所をあちこち往来しながら、手探りでその一帯の地図を描いていくようなもの」と先ほど述べたばかりだが、いきなり正しい事項や知識の布置連関を把捉した「正しい」地図を書いていくのは、はっきり言って不可能である。
だから重要なのは、あとから消して書き直したり、破って別の場所に貼りなおしたりすることをあらかじめ織り込み済みで、とりあえず(最終的には間違っていたとしても)「いま自分に見えているかたち」で、暫定的な(仮説的)理解にもとづく、ひとつひとつの要素の性質や他の要素との関連性を気軽に描きこんでいく姿勢である、と考えている。
間違っていたら消して描きなおせばいいし、全体が見えなければとりあえず一部だけを描けばよいのだ。

具体的なhow toの実践についていえば、いろんなメモやログをとりながらインプットを進めていくとき、

  1. 「わからないこと」(=疑問や課題)のリスト
  2. 現段階ではこういう風に考えている"という暫定的理解のリスト
  3. "もうこれで間違いないだろうという"最終的理解のリスト

という三つのリストを用意して、1→2→3という流れで順番にリストからリストへ「移し替え」の作業を行っていくとよい。
この移し替えの作業が、「わからない」⇒「いまはさしあたってこういう風に理解している」⇒「最終的にこの理解でよさそう」という理解度の変容過程と対応する。
暫定的理解の内容を明示的に言語化して吐き出しておくことで、「わからない」から「わかる」に至る過程を0/1でなく漸次的なものにできるし、そういう工夫があることによって一回インプットの継続が途切れたときの再開のハードルも下げることができる

いずれにせよ、「アウトプットを最終系ではなく後から編集可能なものとして捉える」という発想がキモとなってくるのである。

記録形式自体はテンプレート化し、どんどん再利用していく

叩き台だけは早めに用意し、暫定的理解を放り込みながら自分の知識世界を拡張しつつ、より正しいor高次の理解を獲得できたら随時更新していくという(本記事推奨の)スタイルでインプットのログをとっていくうえでは、①叩き台の用意、②理解の深化にともなう更新、の双方の作業段階のハードルを下げることが望ましい。
なので、できれば中長期的に使いまわせるテンプレート的なものをつくっておくとよい*3

むろん、対象や分野の違いによってよく使う思考の筋肉の種類は異なってくる(法律を学ぶ場合、統計学を学ぶ場合、語学を学ぶ場合では全然違う頭の使い方してますよね)ので、最適なテンプレートのありかたは各々が模索する必要があるが、だいたい大まかな分野・領域ごとに以下のようなものを作っておくとよいだろう。

◆工程表(簡易WBS

領域ごとに、新トピックを学ぶたびに必要となる工程をある程度テンプレートしておく。
たとえば、統計手法を学ぶ場合であったら、「数式による理解」や「その統計手法を適用するためのコードの作成」などは手法を問わない必須工程となるだろう。

作業の洗い出し自体が分からない時は、P-WBS×F-WBSによるWBSの作成のしかた(参考URL1, 参考URL2、また下の過去記事でも触れている)を参考して、必要作業のリスト作成を行うと思考負荷が少なくて済むのでよい。
ronri-rukeichi.hatenablog.com


(ここからはめちゃめちゃ個人的な意見ですが)だいたいのアウトプットを構築する工程というのは、以下のような流れで進む。

  • 列挙:あるテーマを語るうえで必要な要素をリストアップする
  • 分類:リストアップした要素をグルーピングする
  • 関連付け:分類内/分類間の関連性を整理する
  • 構想:分類や関連の描写・説明していくことで、最終的なアウトプットを組み立てる中程度の大きさの「部品」をつくる
  • 構成:構想段階で作りあげた部品を、どういう順番・組み合わせで配置していくかのプロットをつくる
  • 最終化:完了要件を満たすように適切な形式への変形・必要な情報の追加などをして最終アウトプットにする


"随時更新型”のアウトプットをログとしてつけながらインプットをする場合は、上のおおまかな工程に該当する「お決まりの作業」を書き出していくと、割とテンプレート化しやすいのではないだろうか。

◆自問自答テンプレート

古典的な「なぜなぜ分析」*4に代表されるように、輪郭が不明瞭でふわっとした疑問や懸念点をシャープにしていく過程では、自問自答が有効である。
毎回0→1で考えるよりも、お決まりのチェックポイントを抑えて「わからないこと」「わかっていること」の輪郭を浮き彫りにするようなツールとして、いくつか思考のデバッグツールとしての自問自答用質問リストを作っておくとよい。

以下の記事では、そういったお決まりの質問がいくつか掲載されているので、そういうのを参考にするのがよいだろう。

随時更新型アウトプットを支える思想

"Done is a stepwise approach for perfect"という考え方

かのマーク・ザッカーバーグが残した(らしい)あまりにも有名な言葉のひとつに "Done is better than perfect. "がある。
しかし、この言葉は本来の文脈でもっていた意味が変質してしまった形で人口に膾炙してしまったとの指摘が以下のnote記事でなされている。

note.com

こういう話*5をするとすぐにザッカーバーグの「Done is better than perfect. (完璧を目指すよりまず終わらせろ)」を引用する輩が湧いてくるのだけど、この言葉はあまりちゃんと本来の意味が理解されていない気がする。

(中略)

世の中には完璧なものなどない。だから完璧でなくてもまずリリースすることが重要だし、リリース後に改善を繰り返して完璧に近づいていく継続的な努力こそが必要なんだ。って言ってる。
これはむしろ中途半端なやりっぱなしを否定する言葉だ
(上記noteより引用)

我々は現代の偉人の言葉の解釈学を行っているわけではなく、肝要なのはそこから自分に有用な示唆を引き出せるかどうかである。
まぁだからザッカーバーグさんの本意がどちらであるかは重要でないんだけど、"Done"さえ担保すれば"Perfect"は目指さなくていい、というわけではなく"Perfect"をめざすためにこそ漸進的に"Done"を積み重ねていく、という考え方として捉えているほうが、生産的というか健康的な感じがする。

知識の追加的インプットを続けていくためには、「更新の対象となる叩き台をまずつくる」ということがまず一歩目として重要で、叩き台をこしらえることだけは早めに"Done"しつつ、その後の更新はハードル低めに随時おこなってゆく、というstepwiseなアプローチが有効という考え方をもっておくのがよいのではなかろうか。

続けられない自分を許せる/再開のハードルを下げることの重要性

継続できる集中力や忍耐力というのはとても尊いものであるし、それ自体美徳であろう。
心身両面で無理が効いたり野望に燃えていたりする(そんでもって割と可処分時間が多かったりする)若き日というのは、より賢い自分や強い自分になるために長時間苦痛に耐え続ける意志を強い水準で保持し続けることが自然とできる*6

まぁでも冒頭に書いていたように、歳をとってくると単に体力・集中力が低下してくるだけでなく、色々な外部からの避けようがないinterruptionも増えてくる。
ゆえに、自分への苛烈な厳しさを若いときと同じ水準でもって持ち続けてしまうと、なかなかに不健康な帰結を生むこととなる。

自分が集中・継続しきれないときに自責の念が強くなりすぎると「続けられなかったこと」自体が一種のトラウマとなってしまうので、そのトピックにまた向き合うまでの再開のハードルが上がってしまう
だから現実問題としてかつて耐えられていた荷重に耐えられなくなってきているのであれば、ハードルを下げたインプットの仕方に変える必要がある。

したがって、あやふやな「暫定的理解」の保管場所をトピックごとにつくり、それを更新していくことをはじめから基本方針とするような「随時更新型アウトプット」形式でインプットの記録をとっていくことは、そういう意味でも合理的である。

箇条書き/リスト形式は本当によくないか(そんなことない)

自分がかつて学生時代にお世話になった恩師は、研究会・読書会などのレジュメが箇条書き形式で書かれていると不機嫌になる人だった。
その理由は、「ひとつひとつの情報単位の間の接続の仕方を考えながら、ひとつの文章にまとめる過程で負荷を経験することが力につながる」という信念を師がもっていたことに拠る。
それから幾年が経った今でも、師が仰っていたことは間違っていないと思っているし、論理の鎖を紡いでひとつのまとまった文章をつくることは、それによってしか涵養されない思考の筋力の基になるだろう。

いっぽう思うのは、いちいちそうやって、論理的な依存関係や接続関係を考えながら大きな「言葉の塊」をつくっていくことは単純に疲れる。ゆえに、インプットのログをとることのハードルを上げてしまうのでは、ということである。
また、ある程度のひとまとまりの文章を読むのは結構頭が疲れるし、それは自分自身が過去に書いた文章を読むときも変わらない。
視認性の面からも箇条書き/リスト形式のほうが読み返すのに頭を使わない気がする*7

だから、箇条書きやリスト多用しながらメモを作っていっても、まぁ全然いいんじゃないですかね...っていうのが現在の私の考えである。

また、かのポアンカレ先生は「科学と方法」のなかで「発見するということは、まさに、無用な組み合わせをつくらないで、有用な組合せをつくることに存する」という名言をお残しになってられるが、そもそも新しい分野を勉強しているときというのは、どのパーツとどの別のパーツの組み合わせが「有用」であるのかを判断するための勘所を掴めているときのほうが稀である。
だから、まだその分野にそこまで明るくない時点で事項どうしの関係性や接続性を固定的に考えたひとかたまりのドキュメントを作ってしまう、ということはわりとリスクも伴っているのではないかともいえる。

まぁ屁理屈かもですが。

随時更新型のインプット記録をつけるのに向いてそうなツール/サービス

別に自分はとりわけデジタル信者なわけではないし、特に色んなアイディアを出すクリエイティブな段階では手書きのメモや図などはとても有効だとも思っているが、

  • 気軽に情報単位間の視覚的配置を入れ替えられるのが望ましい
  • 消して付け足してを何度も繰り返すことになる
  • 雑然と書き散らかした情報に、(タグやカテゴリを付与することで)事後的に部品間の「つながり」に関する情報を付け加えていく

といった随時更新型アウトプットの性質を考えると、やはりデジタルな記録媒体が向いていると思っている*8

ということで、いくつか「随時更新型」のインプット記録に向いてそうなツール/サービスをリストアップしていく。

Notion

わたしの暫定的な最適解である*9

強みとしては、

  • 編集画面/閲覧用画面がシームレスで、移行の手間やストレスがない
  • データベース関連の機能やビューの種類が充実しており(参考URL)、色んな情報を整理・管理するときに「まず表にまとめる」から入る人*10にとってはとっつきやすい
  • レイアウトの自由度が非常に高く、ドラッグ&ドロップで簡単に配置を変えられる
  • Web clipperがめっちゃ優秀(勝手にデータベース化されてく)
  • UIが直感的で触ってるのが楽しい(個人差はあると思うけど)

などがある。あと、これはどちらかとというとインプットの継続という目的にとっては付随的な利点ではある*11のだけど、公開設定を変えるだけでブログやHPの代替物として使えるのもなかなか便利。

※良さについてはNPediaを運営しているノースサンド社のnote記事などを参照したほうがたぶんよい。

弱みとしては

  • 検索機能がイマイチなので、「書き散らして突っ込んどく」という用途にはたぶん向かない(後述のScrapboxのほうがそういう使い方だと強い)
  • フリープランだと、1ファイルあたり5MBまでしか添付ファイルはあげられない。
  • 最近追加されたガントチャート機能(正式にはタイムライン・ビューとよぶらしい)は、WBS的なタスクの入れ子構造に対応していない(ちなみにフリープランだと3つまでしか作れない)
  • 多機能すぎてなれるまで時間がかかる

らへんがあげられるだろうか。

Scrapbox

自分はNotionを知った後にこっちを知ったので、あまり惹かれなかった(多分単に相性の問題もあると思う)けれど、わりと有力な候補。
自動相互リンクや、検索機能の強力さから、社内・グループ内の情報共有ツールとして結構使われているらしい。
上述のharuki氏もscrapbox推しである。

個人的には(ウリであるはずの)階層性のなさが逆に自由すぎてムズムズしてしまう感じがあるのと、単にデザインがNotionのほうが好きなので、いまのところ使用予定はない。

ブログ

冒頭でふれたharuki氏の記事においては、ブログは「完成したもの」「結論が出たもの」をアウトプットするような、"ハードルの高い"ツールと代表例として挙げられている。
しかし、りぜあす氏のブログがいっぽうで成功例として挙げられているように、ひとつのトピックに対してひとつの記事を用意して「思いついたことを随時更新する」ような(一種のwiki的な)使い方をするのであれば、"随時更新型アウトプット”用のツール/サービスとして使うことも可能である。

ウィークポイントとしては、

  • Notion/Scrapboxあたりと違い、編集画面と閲覧用画面の移行が若干手間で見た目もかなり隔たりがある
  • 記事の間に階層的な関係性をもたせにくい(目次用のページをつくって、そこからリンクを飛ばすというやり方はあるっちゃあるけど面倒くさい)
  • 情報単位が細切れになったときのハコとして、ブログの1記事という単位は大きすぎる

あたりが挙げられるだろうか。

Wiki

「トピックごとにページをつくり、それを随時更新する」という点に関しては、いにしえのツールである。
haruki氏も上述の記事において、「同じトピックを随時更新する」というアウトプットの方法について「そもそも大昔のインターネットは大体こうでしたね」と言っている通り、原始的かつシンプルだが強力なツールではなかろうか。

....でも個人的にはNotionでWiki作れるからNotionでよくないですか?っていう立場です。

Conclusion

まぁ何というか、書きあがったら割とそれなりな文字数になっていまして、「偉そうに能弁垂れてんじゃなくて、このブログを書いてる時間を使って、お前インプット&アウトプットしろよ」と言われたら返す言葉もないんだけども、たまにはこういうすぐには役に立たないような考えの交通整理も大事かなと....(いう自分への言い訳)。


Base Ball Bear - The Cut -feat. RHYMESTER-


Enjoy!!

*1:というか、色々なことを知った分、目移りしてしまうのが人のサガだと思う

*2:少なくとも社会に出てからの知識獲得はそうだろう

*3:もちろん、こういうのは準備→計画→実行みたいな手続きを厳密に踏もうとするとフットワークが重くなってしまうため、必要と思った時に「そういえばこの作業毎回やってるな」「こういうことをメモしておかないと困るな」ということを書き出して”随時更新”して作っていけばよい

*4:ちなみに「なぜなぜ分析」自体はやり方を間違うと危険ですよ、という指摘もある

*5:引用注:リリースを最優先し品質改善をおそろかにする風潮への批判

*6:過去の自分を過剰に美化している可能性は存分にある

*7:好き嫌いや個人差はあるのだろうけど

*8:むろん、KJ法のようにアナログな記録媒体を用いてもカードをつかったりすることで、柔軟な編集可能性や可塑性を担保するやり方もあるが、正直そういう記録用ツールをアナログで用意すること自体「ハードルを高く」してしまっている感がある

*9:実は自分がNotionを知ったのもスマブラ64の世界最強サムス使いである丈助氏の放送だった。どうでもいいけど

*10:自分も何をはじめるにも、まず表つくるとこから始めるタイプなのでNotionとはとても相性が良い

*11:アウトプット自体が目的の場合とは違って、必ずしもその成果を公開する必要はないと考えているため