【俺が】2020年代の名古屋グランパスのスタイルの移り変わりをデータから眺めるだけのスレ【楽しいだけ】
6点獲られるなら7点獲ればいいじゃない(洗脳済)

【目次】
はじめに:体制変化を数値面から理解する基礎資料がほしい
※さっさとデータ見たい人は読み飛ばしてよいところ
長谷川健太からミハイロ・ペトロビッチ(a.k.a. "ミシャ")というなかなかにチャレンジングなスタイル転換*1を図った新生名古屋の駆け出しの半年が終わった。
まぁ色んな細かい話を捨象して個人的な感想をひとことで形容すると「観るのが本当に楽しい」ハーフシーズンで、数年ぶりに次のグランパスの試合をみるのが待ちきれないという気持ちにさせてくれたチームであった*2。
で、小屋松やマルクス・ヴィニシウス、マテウス・カストロあたりがこの半年のメンツに合流してくる26-27も待ちきれないんですが、「うおぉぉミシャ式で天下布武や!!毎試合5点とるがや!!」をしていく前に、ここ数年の名古屋グランパスがどういう道程を辿ってきたのかを、いったんここらへんでデータから多角度的に眺める、というのがこの記事の趣旨となる。
というのも、2018年にJ1に復帰してから我がクラブは監督選びにおいて、
「風間八宏→マッシモ・フィッカデンティ→長谷川健太→ミハイロ・ペトロヴィッチ」とかいう激しすぎる個性の反復横跳びを経験しており、ここにどういう中長期的な物語を見出せばいいのかサポ側もなかなか難しい感じになっているからである。
監督交代とともにフロント側も山口(&古矢)体制から服部(&直志)体制に移行したが、前体制の4年間の総括は(少なくともサポーターに共有されるような発信においては)言語化されきらないままで、ぬるっと新たなチームの日々が始まってしまった感は否めない。
別にまぁ総括がないことはそれはそれでええんですが(何年か経ったら赤鯱の今井さんあたりに素さんぶっちゃけインタビューとかやってほしいけど)、4年という決して短くない期間をすごした長谷川体制について
- 前体制に対するどのような問題意識をもって何を目指して船出したものか
- その航海で何を達成し、何を達成できなかったか。その途中でどういう方針転換があったか
- 次体制に託されたものは何で、それはこの半年のミシャ体制でどのように取り組まれているのか
みたいなことを記憶や言説ベースだけじゃなくてデータ面からも検討できる資料が欲しくて、でも無いので、自分で書くことにした
で、長谷川体制1年目の末に寄稿した↑の記事の冒頭でも触れたが、そもそも長谷川健太体制船出の時点で目指されていた変化は、就任会見での健太さん自身の言葉をそのまま引用すると以下のようになる
「ストロングはそのままに、変えるべきところは変えていくために私を選んでくれたはずだと思います。
守備の質は残しながら、攻撃に関しては昨シーズン44得点、一昨年は45得点で、50以上ないと優勝に手が届かないので、攻撃力をさらに上げていきたい」「アグレッシブに前から奪いに行く戦いが自分の持ち味で、メリハリの部分はいままで同様、行くときは行く、考えるときは考えるとやってきて、そういうあり方で名古屋でも戦いたいと思っています」
「もっともっと選手に動きがあるというか、もう少し飛び出していくようなプレーが増えていくと、見ていても楽しいし得点も増えていきます。動きのあるサッカー、ですね」
出典:サッカーマガジンWEB
要するに、フィッカデンティ体制の堅守はそのままに*3、
・"アグレッシブ"に前から奪いに行く
・飛び出していくようなプレーが増えた"動きのあるサッカー"
・その結果としての得点力増
を付け加えることを企図して船出したのが長谷川健太体制だったわけである。
それらがどれだけ達成され、何が課題として残ったのか、ということをちゃんと抑えて今の新体制の取り組みを解釈していかないとなー、というのは個人的な思いとしてあるのだがデータをみるのをサボっていた。
というわけで本記事では、手元のデータの都合上2020年代の名古屋を
- 2020-2021年:フィッカデンティ体制期
- 2022-2023年:長谷川健太体制(前半期)
- 2024-2025年:長谷川健太体制(後半期)
- 2026年:ミシャ体制期
と4つの時期にわけて、いろいろな指標から時期ごとの変化を(各時期のJリーグ平均と比較しながら)ゆるゆると確認する、という記事だ。
厳密な分析ではないので、適当に二つの変数を選び出して、二軸プロット上の時期間変化を把捉することを目的とする。
わりと順番も思いつきで適当にやっていく。グラフをみてなんか思いついたことを放言する。そういう感じ。
位置づけとしては、あくまで基礎資料的なものとなる。
データ出典は、FOOTBALL LABとJリーグ公式サイトのスタッツページに拠っている。
対象試合は該当期間におけるJ1リーグの試合で、ちなみに今年のデータに関しては、プレーオフの2試合は含めていない。
では、さっそく始めよう。
データを眺める(&うだうだ言う)スレ
5段階KPIの変化
以前「グラぽ」に寄稿したときに、「攻守の5段階KPI」なるものを定義し、パフォーマンス指標として用いた。
そのときにグラぽ先生(XのID:grapodotnet)にご作成いただいたかっこいい画像をそのまま貼って説明すると、以下のようなものだ。


というわけで、ここから各局面にフォーカスしたミクロな指標をみていく前に、いったんこのマクロ(?)指標でパフォーマンスのおおまかな把握を行うこととする。
まずはミシャサッカーのウリの部分でもある攻撃面の移り変わりをみてゆく。これは基本的には高いほうが良い数値群だ

まず、長谷川体制はそもそもアタッキングサードに侵入するのにめっちゃ苦労していたことがみてとれる。
ミシャのチームと比べてKPI1が低いのはまぁそうだろうなって感じだけど、フィッカデンティのチームと比べてもアタッキングサード侵入率が低い、というのはなかなかつらい現実という気はする。
先に見た通り、マッシモウノゼロサッカーからの差別点として「飛び出していくようなプレー」「動きのあるサッカー」を標榜したのが長谷川体制だったが、そもそも後ろから選手たちが「飛び出して」攻撃に参加していくにはある程度は前線で時間・空間を確保することが重要で、そこが結局最初から最後までネックだった、という気はする
※この点については、よりミクロな別な指標からもあとで検討・考察を加える
ただ一旦アタッキングサードに入りさえすればシュートにもっていく確率はミシャサッカーと比べても高いので、
長谷川体制4年間を通してみると、2023年の夏時点でのレビューで作成した以下のラムネ瓶型の構造はかわってなかったという感じだ。

KPI4-5ではシュートの「質」の部分を測っているが、こちらも長谷川体制期は苦労した感がある。
とくに22-23は枠内に撃っても全然入らんという感じだったみたいだ
これは先ほど触れたいったんアタッキングサードに入ってからのシュート到達率の高さと表裏一体というか、たぶん(23の夏まで在籍していた)怪我前のマテウスがまぁ前のほうで受けたら結構遠い位置からでもシュートにはつなげてくれる個の力はあったので、そこでシュート数を稼いでいた側面が大きいのかなと推測する
ミシャになってからの半年はシュートの質も担保されていることがわかる
これは山岸(結婚おめでとう)や木村の好調もあったが、そもそもとして崩しがうまくいっていたりゴール前に人数を割けているゆえ敵のDF陣も的を絞れない状況を作れたり、という意味合いも大きいと感じる。
シュートの質を担保するためにはチャンスの質が肝要、ということだ。
次は守備面のKPIの移り変わりをみてゆく。こちらは逆に低いほうが基本的には望ましい指標たちだ。

今年のデータに関しては稲垣離脱後のなかなかショッキングな2試合10失点も含まれていることもあるだろうが、
KPI2-4のデータに関しては、予想通りというかイメージ通りというか2020年代のチームのなかでは一番守備のパフォーマンスがよくないのがミシャ名古屋になっている。
パブリックイメージと一致しすぎてあんまり付け加えて言うこともないのだが、あえて言葉にすると、「いったんディフェンディングサードまで踏み込まれると、かなりの確率で枠内シュートまで撃たれてしまうサッカー」といえる。
まぁその分点取りゃええんや!という思想であることを織り込み済でミシャさんを招聘していると思うので、守備陣の個としての踏ん張りと得点力のさらなる向上をめざしてほしい(諦めの境地)。
まぁ守備全振り&守備のタレントも錚々たるメンツを揃えて数々の記録も打ち立てたマッシモ期が硬かったのはそりゃそうだよねという感じ。
個人的に目を引いたのは、長谷川体制の前半期から後半期にかけて守備面が各種指標が一気に悪化したことである。
23年末に中谷・藤井(・丸山)が一気に抜けたのはやっぱりきつかったよなぁという感じが数字にも出ている*4。
(そんな台所事情の苦しいなかでも2024年に星をひとつ増やしたのは、シンプルに偉大だし流石に†百戦錬磨†の長谷川健太という気はしますが)
あと関連して少し気になったのは24-25の枠内シュートの失点率がかなり高い(つまりセーブ率が低い)ことで、
この二年間をさらに分けて考えると2024はラストシーズンで輝く星とともに退団したミッチがほぼフルでいた(3試合だけ武田が出た)ことを考えると、2025のほうがやばそうだなと思われた…ので実際に分けてみて確認してみた
※上が2024, 下が2025

確かに2025のほうが数値は悪いのだが、2024もそれ以前に比べると数値が芳しくないので、
やはり「セーブ率」という指標はGK単体の実力を表すというよりは, コースを限定する守備組織全体を含めたパフォーマンス指標として捉えたほうがよいだろう。
…というわけで、得点/失点の各プロセスでの効率をとらえるマクロ指標はみたので、次はより詳細な各指標を(適当に思いつきでアットランダムに)みていくこととする
名古屋だけの推移みててもようわからんので、当該時期のリーグ平均もプロット上に並置してみる。
あわよくばリーグのトレンドみたいなものも垣間見えたらよいですな
ラインブレイクラン(指数、成功率)
「ラインブレイクラン」とはLAB公式ページから定義を抜粋すると
トラッキングデータから相手の最終ラインを検出し、
ボール保持チームの選手のうちボールを持っていない選手が相手の最終ラインを越えるような
14km/h以上のランを計測した場合を裏抜けランとし、同指標の定義として利用
というもので、いわゆる「裏抜け」の動きを計測したものである。
長谷川体制において標榜された「飛び出していくようなプレー」「動きのあるサッカー」を測るうえでかなり適した指標と思って確認する

X軸がラインブレイクランの指数(その年の平均値を50とし、ラインブレイクが多ければ高く、少なくなれば低くなるような値)で、
Y軸がラインブレイクラン後5秒以内のシュート確率である。
おおまかに、右にいけばいくほど裏抜けが多くなり(頻度)、上にいけばいくほどラインブレイクランがシュートに結びついている(効率)ととらえればよい。
※指数はその年の平均が50になるのでとうぜんJ平均はX=0で固定になる
上のグラフからはわかるのは
- 長谷川体制では確かにラインブレイクランを増やしたけども、それが成果に結びつく効率は下がった(右下への移動)
- ミシャサッカーではそこからラインブレイクランをさらに漸増させたうえで、シュートに結びつく効率は大幅に上昇した
ということだ。
個人的にはわりと実感とも合致する数値というか、健太さんのサッカーのときは前線は確かに飛び出しを狙ってはいたけれども、
それが近くの選手と連動しない単発な動きに終わりがちだったり、そもそもパスが引っかかっちゃったりで実に結びつかなかったという印象が強い
ミシャサッカーはそりゃ4-1-5や3-2-5の配置で攻めるので前線の動きが多いのはまぁ当然っちゃ当然だが、シュートに結びつけられるようになっているのはよい
ドリブル(回数、成功率)
次に1試合あたりのドリブルの頻度と成功率を軸にとったグラフを確認する。

- ドリブルをもっとも多く用いていたのは実はフィッカデンティ期であった。相手のブロックのなかに差し込むパスでリスクを負うのを嫌っていたので、最終的にマテウスや相馬や前田直輝が頑張って運んだり打開したりっていう感じだったことの結果かな。
- 個人的におもしろいと思ったのが長谷川体制前期から後期にかけてガクっとドリブルを用いる頻度が減ったことで、相馬・森下・(怪我前の)マテウスあたりがいなくなった影響が如実に出ている
- 24-25年、健太さんが最初はそこまで点に絡めなかった中山克広を粘り強く起用し続けていたのも「どうしてもドリブルで引っ張っていく役が欲しい」という感じだったのかなと思う。25年の夏くらいから実際にかなり自信がプレーに感じられてきて、今年爆発したという感じ
- 百年構想リーグではドリブル成功率が爆上がりしていて、60.3%は2位の町田(55.4%)に大きく差をつけてのぶっちぎり一位だ
- 個人スタッツのほうをみると、中山、甲田あたりのドリブラーが良い状態でボールを受けられているのはもちろん、地味に筋肉重戦車木村勇大のゴリブルもだいぶチームを助けていたりしているようだ
クロス(回数、成功率)

- なんか右肩上がりすぎて笑っちゃったやつ。
- ミシャサッカーはやっぱサイドでいい形に仕掛ける数自体が多く作れる分、個の質が大事になってくる(ミキッチ然りルーカス・フェルナンデス然り)ので、中山がアシスト王になるくらいクロス供給元になれたのはすごいよかった。新シーズンは右の破壊力をもうちょい増すことができるかどうか
- しかしハーフシーズンかつ東西で分けての選出とはいえ、オールスターに4人(怪我での辞退がなければおそらく稲垣含めて5人)選ばれるというのはシンプルにうれしかったし、2020年にミッチがベストイレブンに入れなくて2021に入ったときにも思ったことだが、やはりチームが勝たないと個人にスポットライト当たらないなと思った*5
あとちょっと脱線するけど、サイド攻撃に絡めて面白いと思ったのは、以下のヒートマップ(出典:LABのサマリーページ)である。

クロス数とクロス成功率が高くなっているからサイドが一様にプレー割合が高くなっていると思いきや、
中盤(ミドルサード)のサイドはあまり使っていないことがわかる。
運ぶ段階ではむしろ中央を経由し、最後の勝負の場面でサイドに振ってそこからのフィニッシュに持ち込む、というのがミシャサッカーの主要チャネルであることがわかる。
タックル成功率 × 空中戦勝率

- なんか解釈むずい。むずいけど貼っとく
- 「空中戦勝率」が攻守わけない指標なので使いづらさがある
- 24-25が空中戦勝率高いのは①そもそも守備時の空中戦のほうが勝率高くて、そしてこの2シーズンはわりと攻められまくっていた、②三國が個人スタッツもJ1で1,2を争うくらい空中戦強かった、の合わせ技だと思う
- タックル関連指標もなかなか解釈がむずいスタッツの代表格という感じ
- 「サッカー データ革命:ロングボールは時代遅れか」っていう本で、ファーガソンがタックル数少ないからヤープスタムを放出して失敗した(スタムはタックルするまでもないいい守備してたのに)みたいな話があったりした
カウンタープレス指数 × カウンタープレス成功率
カウンタープレスの定義は上でも言及したLABの定義だと
ロスト後5秒未満で相手のボール保持選手に対して一定以上のスピードで接近してプレスを行った場合をカウンタープレスとする。
ただし、ペナルティエリアに選手が密集するような状況でのロストは除外する
となっている。
長谷川体制の船出で掲げられた「アグレッシブに前から奪いに行く戦い」のひとつのわかりやすいパフォーマンス指標となる
いったん指数(各年でのカウンタープレス頻度の代替指標)とカウンタープレス成功率を軸にとったカウンタープレスの変遷をみてみる

- J平均との位置関係からわかるように、フィッカデンティ→長谷川→ミシャと結構振れ幅のある指揮官変更があったにもかかわらず、2020年代のグランパスはずっとカウンタープレスの発動率も成功率も低いクラブ、ということになる。
- まぁマッシモさんのチームは初めからリトリート&ブロック形成重視だし、ミシャは守備はまぁ…って感じなのだが、健太さんのチームは正直もうちょいここの数値頑張れないと勝ち筋薄くてしんどい感じではあったと思う
- ここは健太さんの仕込みの手腕なのか用意されたスカッドとの相性なのか、というと判断は難しいなと思う。2024ルヴァン決勝とかでも永井先輩がいなくなった途端ハイプレッシング怪しくなって新潟がめっちゃ楽になってしまっていたりしたな。
- まぁマッシモさんのチームは初めからリトリート&ブロック形成重視だし、ミシャは守備はまぁ…って感じなのだが、健太さんのチームは正直もうちょいここの数値頑張れないと勝ち筋薄くてしんどい感じではあったと思う
- 『もしかしてこれは即時奪回にフォーカスした「カウンタープレス」の指標だから惨憺たる感じになってるだけで、「ハイプレッシング」の指標だったらもっとマシなのでは?』と思ってそっちの指標も確認したが、似たようなものというかもっとひどい感じだったので割愛
- LABの詳細ページだと「カウンタープレス後の被シュート率」という指標があるんだけど、ミシャ名古屋はそれがJ1で下から2番目(19位)で、カウンタープレスかけにいっちゃうと結構手痛い反撃を食らっている。
- マンツーマンでハメにいくってよりはマンツーマンでついていくっていう感じで守備を考えたほうがよさそうだなと思った。稲垣みたいなスーパー走力マンがいないときは特に。
保持時/非保持時のスプリント数
J公式のデータサイトの項目で、保持or非保持の局面別でのスプリント数が把捉できるのを発見したので
各時期のスプリント数を比較・確認する

- ここまでも長谷川体制前期(22-23年)と後期(24-25年)で結構よくないほうに変化した数値はあったが、そのなかでも結構衝撃的なのがコレだった
- 攻/守両面でだいたい20回ずつくらいスプリントが少なくなっている。健太さんのスタイル云々の前に、これだけ走れなくなるとどのチームも厳しいという感じがする。
- 相馬森下あたりの離脱の影響は大きそうだがそれにしてもという感じで、そりゃカウンタープレスも安定しないわという...
- ミシャさんの半年についてはあまりにも影響のでかい「日本の夏」の期間を含んでいないので他の期間と単純比較できないが、攻撃面の動きがより多くなっているのは、ラインブレイクランの指標の動きとも整合性がある
- あと『ミシャ自伝』(URL)とか今年の要所要所でのコメントを見る感じ、パブリックイメージに比べて、ミシャさん自身がかなり「走る」「闘う」ことを重視している監督なんだなということは感じている。
スローイン成功率/アクチュアルプレーイングタイム
なんか余った指標があったのでとりあえず描いたグラフ。
ので、軸の組み合わせにはそんな意味はないのじゃ

- Jリーグ全体のトレンドとして、APTは減少気味なのがわかる。名古屋も例に漏れずAPTは短くなっている
- どこもロングスローに注力しだしたりしてるのが原因だったりするのかな
- 別にみてて「名古屋のスローインはうまい!」みたいな感想を抱くことはないのだけれど、FOOTBALL LABの指標に準拠する限りわりと2020年代ずっと安定して名古屋は(相対的にみれば)スローインがうまい側のチームらしい。
- ここらへんはスローインの「成功」の定義にもよりそうだけど。先に触れさえすればいいのか、5秒後も継続して保持しているかで測るか、とかでもかわりそうだし。
KAGI/AGI
KAGI/AGIは一言でいうとそれぞれ
- 守備時「どれだけ相手を自ゴールに近づかせなかったか」
- 攻撃時「どれだけ相手ゴールの近くでプレーできたか」
を測る、FOOTBALL LABの独自指標である。LAB公式ページの説明には
そこで当サイト『Football LAB』では、「守備の際にどれだけ相手を前進させなかったか、相手を自陣ゴールに近づけなかったか」という観点から、チームの新守備指標「Keep Away from Goal Index」、略して「KAGI」を集計して公開します。具体的には、
- 相手の攻撃時間のうち、自陣ゴールから遠い位置でボールを持っていた時間の割合が高い
- 相手の攻撃が始まってから、自陣のペナルティエリアまで到達するのにかかった時間が長い
場合に高い評価となるように指標化しています。
とある。
あんまりこういう原数値との対応が外からわからない指標(自分で逆関数が作れない指標)は使うの好きじゃないんだけど、
プロットにしたらあまりにも2020年代のスタイルの移り変わりが美しく表れていたので一応のせておく

名古屋の位置が2020年代を通じて、見事に右下(相手ゴールには近づけないが、自ゴールにも近づかせない)から左上(相手ゴール近くに攻め込めるが、自ゴールにも近づかせる)に移動している。
こうみると、マッシモから急にミシャにするよりは摩擦が少なくなっていると捉えられなくもなく、結果的に「中継点」として長谷川体制の4年間を位置づけられるのかなと思ったり思わなかったり。
感想・雑感など
なんか思ったより長谷川体制の4年間の前期(22-23)と後期(24-25)の内容の差が大きかったのが印象的だった。
相馬・マテウス(帰ってきたけど)・森下・中谷・藤井(こっちも帰ってきたけど)あたりを立て続けに失い、強みが強みじゃなくなったなかでチームを上向かせる大変さが表れていた。
特にスプリント数の攻守両面での大幅な減少が衝撃的で、そんな状況のなかでルヴァンよう獲れたなという気がする。
数値上からみると(というかまぁそれ抜きに内容みてても)健太さんの4年間は苦労のほうが多かった期間だなと改めて思ったが、
言うてJリーグ開幕から33年で5つしか星獲ってないクラブなので、4から5に増やしたのはマジで偉大ではある。
「ミッチのために」というあの年特有のブースト要因をうまく結集させつつ、決勝Tでは保持型のチームに立て続けに永井和泉森島のプレスをぶつけて一つ星を残したのは流石の勝負勘であった。
楽しそうにきのう(26/6/13)もオールスターの解説してたが、現場復帰も楽しみだ。
で、ミシャさんのサッカーに関して言えば、
攻撃面(特にサイド攻撃)の充実やラインブレイクランの活性化など嬉しい変化も、
守備面での"食い止められなさ"(KAGIの悪化やディフェンディングサードに入られてからの抵抗力の弱さ)という弱みも、
おおむね見てた感じそのままのイメージだった。
サイド攻撃の破壊力を確保するところと、守備時に無理やり1on1の強さでしのぎきるところ、ここの"個"のクオリティに関しては金かけるのをケチっちゃいけないサッカー*6だなという印象はあるので、そのあたりフロントがどれだけ頑張れるかも鍵になる気がする。
まぁ、言うて個だけでしのぎ切るにも限界があるので、「6点獲られても7点獲りゃあええがね」マインドで我々は楽しみましょう
Enjoy!!
*1:もちろん180°違ってて何もかもを変えないといけないというわけじゃなくて、ほかでもちょくちょく指摘されているように、うまく健太さんの重視していた部分やスカッド構築から活かせる部分もあったのだが、それを書くとそれだけで1本の記事にできてしまうのでここではいったん置いとく
*2:まぁ内容や結果がどうであれ、いつだってマイクラブの試合はそこにあるだけでありがたいしかけがえがないのだが、久しぶりにチームの基底≒価値基準となる"スタイル"が見えるサッカーで、毎試合の積み重ねが楽しみになるという感じ
*3:脱線してしまうが、そもそもこの「X監督が守備を整えてくれたからY監督が攻撃を仕上げれば完璧だ!」のやり方が成功しているのをみたことがないという話はある。組織は時間とともにかつての強みを忘却してしまうし、そもそもフットボールという競技特性自体が「丈の足りない毛布」という例えによくあらわされているように攻と守を別個に分けて整えることができないものだ
*4:本人は夢半ばという感じでいろいろ難しい判断だったと思うが藤井陽也が去年夏に帰還してくれたのはあまりにもデカい。復帰直後はちょっとコンディション悪そうだったけど今年のプレーは出色だった
*5:去年の稲垣祥さんみたいな良い意味でのバケモノは除く
*6:札幌時代もまさにその部分の個(ルーカスフェルナンデスや高嶺や田中駿汰)が抜かれていって決壊したので
『ライティングの哲学:書けない悩みのための執筆論』(千葉・山内・読書猿・瀬下,2021)
- Introduction
- なるほどなと思ったところ(第一部)
- なるほどと思ったところ(第二部)
- なるほどと思ったところ(第三部)
- AIの進歩やさらに充実したツール群とどう組み合わせるか
- 総括的かつ適当な感想
Introduction
自分の仕事的に2026年度は結構アウトプットのペース上げる感じで行かないとなと考えていた折に
SNSを見ていたら流れてきたので(当該書の存在はもともと知っていたが)注文して読んだ。良書だと感じた。
学生の頃や駆け出し社会人の頃は文章作成とか知的生産*1術みたいな本は結構読んでいたが、ある程度年を重ねていってからはそういう類の本をそこまで読まなくなった。
んでそれはなぜかというと、もちろん色んなフレームワークやアプローチは大事なんだけど、その基本的組み合わせみたいなのがいったん自分の引き出しに納まっているのなら、あとは方法の習熟よりも「結局は気力と体力じゃね」みたいな感じで考えたほうが自分のなかでうまく"執筆力"の高低を説明できるな、という認識に落ち着いてきていたからである。
そんな自分がこの本を「良い」と思ったのは、「結局は気力と体力じゃね」の「気力」の部分とどううまく付き合うか、あるいは気力が執筆生産性の最重要規定因として居座り続けないためにどういう工夫をするか、というトピックに意識低く(≒実用的に)答えを出そうとしている姿勢が感じられたからだ。
諸事情ゆえ私自身が(20代のときに比べれば)あまり良好なコンディションを長期的に(というか中期ですら)保つのが難しい感じになっていて、そういう意味でこの本の提供価値と現在の私個人の需要が合致していた、ということかなと思う。
意識高くマッチョな肉体/精神状態の若人だから刺さるハウツーと、モチベもコンディションも維持するのに苦しむ老兵が求める処方箋は違うよってハナシですね
なるほどなと思ったところ(第一部)
この本は三部構成になっていて、
第一部:著者4人が「書けない悩み」やそこへの各々の対策を披露しあう座談会、
第二部:↑の座談会後2年が経過した時点での著者4人の「執筆実践」報告
第三部:↑の執筆実践報告をお互い読みあってからの再びの座談会
という形になっているので、各部ごとに
なるほどと思ったりここ刺さったなぁというところを抜き書きしていく
「Wordは発狂する」
山「とにかくぼくはWordからできるだけ離れたい人間で。あれは発狂するんですよ!」
読「発狂しますよね!」
山「まずは見た目で発狂するんです
(中略)
ですのでWordに到達するのをできるだけ遅らせるのがぼくの第一命題です」
(p.36-37)
山「ドラフトの段階でほぼほぼ原稿に近い状態にしてしまって、Word内で細かくいじるのをなるべく避けるっていうのは本当に重要ですね
(中略)
この行為をゼノンのパラドックスのごとく無限後退させるために、たとえばEvernoteやWorkflowyやStoneといった無数の中間地点が挟まれていく」
めちゃめちゃ「発狂」したくなる気持ちはわかる
執筆をはじめるときに、白地のWord(に限らないが)が画面にバンッて映し出されていると
「更地をいきなり整地して、設計して、施工して、最終のビルまで組み上げてね」と言われている気がして心理的ハードルが上がる
瀬下氏が以下のように言っているのが、自分が書いているのかと思ってしまったくらい頷いてしまった
瀬下
「いきなりエディタに向き合うと、
「さあ、この真っ白な紙に、君の作家性をぶつけてごらん」みたいなことをいわれている気がしてきて、
なにも書けなくなってしまうんですよね。
伝わるかわからないですけど、
Workflowyのトピックくらい狭々しくて、ちょっと事務的なUIの場所のほうが安心するといいますか」
(中略)
山内
「メモの延長みたいにしたいんだ」
(p.54-5)
「構え」ずに"気散じ状態"で書くことのススメ
山内
「書き方でいちばん変わったのは、とにかく気散じ状態で書くようになったこと。
普通、論理的に難しいところは集中してパソコンの前でじっくりやるイメージがあると思うし、
ぼくもどちらかといえば頭かきむしるタイプですけど、
いまは基本的に、隙間時間に思いついたことをスマホにポンポン入れていくなかで突破していくことが多い。
じゃあパソコンの前に座れるタイミングではなにをしているかというと、一般的な印象とは逆にトピックの整理なんかをしている。
(中略)
基本的に整理することで書く、という状態にしているんですね。
WorkFlowyのInboxに溜まってきた短文を整理して、増えたらまた整理して、
を繰り返していくうちにあるまとまりとしての文章ができてくる。
集中して書かないといけないように思われる発想の起点や難所の鍵は、
たとえば電車のなかで書いた断片のなかにあるんです」
- 自分真似できるか&自分が真似したとしてそのスタイルで生産性が上がるかは別として、この考え方は自分に足りないところだなと思った。
- この本を通底するテーマとしての「いかに書くことのハードルを下げるか」という問題に向き合うときに、「"0から質の高い文章をいきなり生み出さないといけない"みたいな状況や認識をどう回避するか」というのが裏テーマとして設定されることになっていて、そのひとつの方針を表す言葉としての「整理することで書く」は秀逸だなと感じた
- 下で取り上げる箇所でも触れられていることだけど、(最終成果物としての文に近い)"綺麗な"文をいきなり書くのではなく、未整形で使途も定まっていない「断片」をいったん作り出すことで自分からいったん切り離して他者的な操作対象とする、という感覚を有用なものとして取り入れる必要がある。
- 結局この本を通底するポイントは、①断片化された未完成なアウトプットの許容、②:「書く」という行為のハードルを自分で上げないでとりあえず何かしら書いてしまうありかたの推奨、という2点にまとめられる*2と思っているが、"気散じ状態"で"断片"を出していくことが、執筆やアイディアにおける「発想の起点や難所の鍵」を突破するような積極的な意味をもつとはっきり述べているこの山内氏の発言は、ひとつのスタイルの提案としてとらえられる
- "気散じ状態"を集中度の低い状態、みたいに解釈したときに思い出したのは何年か前に読んだ加藤司著「なぜあなたは国際誌に論文を掲載できないのか」で、作業ができる程度(自由度)を何段階かにわけて定義したうえで、①自由度に応じてできる作業を事前に準備しておくこと、②自由度が上位である時間に自由度が下位でもできる作業をしないこと、が提唱されていた(当該所pp.24-25)ことだった。こちらはかなりストイックな考え方である。
- 自分もどっちかといえば加藤氏よりの考え方だったんだけど、だからこそ上記の山内氏の、気散じ状態で書いた断片のなかに発想の起点や難所の鍵があるという考え方は目を見開かされるものがあった。
言葉の「断片」をどうひねり出すか
この本の個人的に推せるところは、上述のような議論が展開されたあとに,
"「断片出せや!」&「構えずにとりあえずなにか書けや!」って言われても、実際やってみるとなかなかそれすら難しいよね"って視点での「じゃあどうするか」についての話がちゃんとあることだ。
と、いうわけでそのひとつひとつの工夫をみていく
[工夫1]:フレームド・ノンストップライティングによる"作業化"で書く
この本を読む前から読書猿氏のブログは時たまチェックしていて、
そのなかでも一番参考になって何度も読み返していたのが以下の記事であった
readingmonkey.blog.fc2.com
手法詳細は上記URLを参照のこととして、その効用と実態について読書猿氏自身がぶっちゃけているのが以下の一節
まずアウトラインを分割していくことで枠、フレームをつくる。
そのフレームのなかでフリーライティング、暴れ書けと。
このテーマについて書ければいいし、そのときは他のフレームについては気にしないでいい、書けるだけ書けと。
でもそんなに書けないですよ。10文字のときもあるし、200字も書ければ御の字です
僕は本当に書けない人間なので。
それでも、フレームのなかを埋めることなら執筆というよりは作業なのでまだできる
(p.90)
「執筆よりは作業なのでまだできる」というのは芯を食った表現だと思う。
フレームに分割することが、いわば「断片」化だし、
各フレーム内を一気に埋められなくても、「着手された」状態になるので、次へのアクションがわかりやすくなる。
分割して統治せよ、だ。
[工夫2]:"物真似"で書く
瀬下氏は、どうしても書ききれないときの処方箋として「物真似」を推奨している
必ず難癖をつけてくる人や、逆になにを書いても褒めてくれる人を頭のなかで召喚して、
その人が言いそうなことを実際に書いてみる、というような感じです。
あと、尊敬する書き手がもし自分の原稿を読んだらなんて言うだろうか、とか
(p.92)
自分がこの方法を実践するかは別として、それが効果をうみだすメカニズムについて千葉氏が以下のように述べている部分がなるほど、と思った
それに関してぼくが思うのは、そもそもストックがないと出てこない。
だから瀬下さんが真似をすると出てくるというのも、
「真似によってストックが出てきやすくなる」んですよ。真似って自分のなかのストックを呼び出すためのトリガーみたいなもので、
自分のなかにはストックがたくさんあるんだけど、なんもトリガーもなしに出してくださいって言われても出ない。
(p.96)
自分じゃないものを演じる、というモードになることで心理的障壁を下げる効果もあるのだろう。
[工夫3]:"取り返しのつかなさ"で書く
まっさらなエディタに対して文章をいきなり書きだすことの、恐怖感や心理的の障壁の高さをどう回避するか、という方向性での抗いが工夫1-2であるとすると、
「(それが何であれ)いったん書いてしまって、その慣性を利用してしまって書く」という方針で戦うのがこの工夫3である。
思考を綺麗な形で組み上げてから外部化するのではなく, 未整形で未分化で未処理なものであってもいったん外部化(≒他者化)して、
それを利用して書くというスタイルについて、山内氏の以下の言葉が示唆的である。
ぼくも外部化されたものを見て判断したいんですよね。
「無からの創造」ではなく。普段からアウトライナーに放り込んでいる雑多な与件が次の文章を導く、というように。これは庭の石組の話と似ていて、平安時代の『作庭記』という作庭指南書があるんですが、
そこにはまずいろんな石を集めてきて並べろとある。Inboxのように。
そこからいい感じのを一つ立ててみろと。つまりはプロジェクト化する。するとその最初の石が次の石を乞うんだと、ある種の自動生成を導く手立てを書いています
(p.105)
この"まず石を置いていく"ようなアプローチは、以前の記事で触れた将棋の羽生善治九段の以下の言葉とも通ずるものがある。
私の場合、何か課題があって、それを解決しているというより....、
もちろんそういうこともするんですが、それより、
たとえばすごく大きなジグソーパズルがあって、その中に一つピースを置いてみる、ということに近い気がします
(『羽生善治 戦う頭脳』,p.333より)
また、あくまでこの初手の「石」を置く意味は旅の一歩目の踏切板としての役割であって、それが最終成果物としての文に残り続ける必要はないと、山内氏は続けて言う。
庭では、最初に置いた石がどうしても気になってしまう場合は、それを取ってしまえと言うんですよ。
初手を省くと、結果として自動生成された取り返しのつかなさの連鎖それ自体が残る。
(p.106)
このような「取り返しのつかなさ」の利用というのがそもそも、文を書くという営為*3と不可分であるということも読書猿氏によって指摘されている。
読書猿
「書くこと自体が、先ほどの「石を置く」ではないですが、
取返しのつかなさを重ねていくことですよね、書いた文に制約されるじゃないですか。
それが文章を書く苦しみの大きな部分を占めていると思うんですけど、
そこから先はきっと2通りあって、「最初の意思」を取り除いて書き直ししてしまうか、
あえて置いたまま制約に縛られながら、引きずりながら書くか」
(p.109)
またこの点、工夫1のフレームド・ノンストップライティングとの関連も含めて,
アウトライナーに沿った形で*4、断片をとりあえず吐き出すことが執筆(といわずに作業といったほうがいいのか)の波を継起させる、ということについては以下の読書猿氏のことばが示唆的なので、やや長いが書き留めておく。
ツールが思考に対してどんな影響を与えたかという話について、
千葉さんの言葉を拝借していえば、「思考しないで思考する」ことに使えているのかなと。
アウトライナー上で作業していることが、かなりの部分、全部ではないですが思考の肩代わりをしてくれている。アウトライナー上でどういう作業をどういう手順でやるかということも、手の動きとしてある程度決まってきていて、
並べ替える、分割する、分析する、詳細を決めてもう一度隠して…ということを手が覚えていて、
頭でやらないといけないことを肩代わりしてくれている、という影響はあった気がしますね。
手続き化されている。
[...]
頭が悪いんですよ(笑)
だからなるべく思考に頼りたくないという欲望があって、頭を使わずに思考の代わりをする手順を考えようとしています。
(p.103)
ルーティーン化としての手続き化が思考を導くその工程を、どう自分なりにつくりあげるかという視点だ。
千葉氏が、「クリエイティビティを発揮するって、自分のなかに自動生成プロセスが動き始めるみたいなところがある」(p.104)といっているが、
さらに言えばアウトプットの手順と自動生成プロセスとを結びつけることで、どうやってその"自動生成"に再現性とコストのかからなさを付与するか、という視点が重要だということでもある。
執筆を進めるための思考の自動生成、思考の自動生成のための外部化、外部化のためのアウトライナー、、、的な。
最近読んだfreee川西氏の企業組織作りについての著作でも、freeeの核となる行動指針の一つとして「アウトプット→思考」が掲げられていることが触れられていた。
(そこではとにかくアウトプットを早い段階にすることが、フィードバックの質に大きくかかわってくる、というチームとしての生産性への影響がとりあげられていたが、結局思考を深めるというのはセルフ・フィードバックの過程であると考えれば、いずれにしても外部化は不可欠だ)
総じて、一回外に出してみないと、ブラッシュアップの対象とすることもできないし、次に考えるべき課題に移れないし、さらなる思考やアイディアの創発的導出にもつながらないよ、ということである。
なるほどと思ったところ(第二部)
というわけで第一部は、筆者たちが「書けない悩み」を互いに洗いざらい共有しつつも、その悩みの正体をいろいろな角度で照射しつつ、「断片と断念」ともいうべき対症療法を示すような構成となっていた。
続く第二部では、この座談会後2年が経過して各々がさらに執筆の経験を重ねたうえでの書き方の変化を「執筆実践」として各々がまとめている。
先んじて言ってしまうと、個人的に特に有用だと思ったのは, 読書猿氏と瀬下氏の二人であった*5。
この二人は、特に「”書けない”自分を前提にしつつも、断片をひねり出し、紡ぎながら文章を書ききる」というスタイルを構築するように思えたからだ。
ということで、著者4人の執筆実践について参考になったところをまとめておく。
読書猿氏の執筆実践
タイトルが「断念の執筆術」となっている通り, 「断念」をキーワードに、
書くことのハードルを下げ(て、そしてどういう形であっても最後まで書きき)る7つの技術もとい”7つの断念”を、以下の通り紹介している。
- [1]ノンストップ・ライティング:構成やプランをあきらめる
- NTW(書くべきこと)ではなくATW(いま書けること)をとにかくノンストップで書き続けることの推奨
- 「立ち止まることなく、欠落も重複も厭わず書き続けること、読み手に伝わるようにとか、分かりやすくとか、印象深くとかをそんなことをすべてあきらめ、ただ自分が書こうとしているものが一体何なのか、それを知るためだけ書き続けること」(p.120)
- [2]ランドリーリスト:文を書くことをあきらめる
- 文を書くことをあきらめ、「買い物メモ」くらいのノリで単語の箇条書きでアウトプットすることを自分に許容する
- [3]インキュベーション:資料をみることをあきらめる
- 「資料を見ながら書くこと」をあきらめ、"思考の保温調理"をおこなう
- 必要な下調べを前日夜-当日朝におこない、ほかの作業に移ることでアイディアの発生を待ち構える
- [4]無能フィルター:有能な自分をあきらめる
- 執筆が詰まってしまったさい、「これまで書いた言葉を一旦すべて捨てる」ことで突破する
- 「捨てることで、自分の中にかろうじて残ったものだけが、これ以上捨てることのできない文章の核、そして骨子として現れる」(p.126)
- [5]進捗アウトライン:意志の力をあきらめる
- 何をすべき(書くべき)かの順序が決まっているのであれば、チェックリストの更新/マス目の塗りつぶしを進捗度に合わせて行動療法的にしていくことで「馬鹿にできない効果」を得る
- そのチェックリストを作成・管理するさいに、文章のアウトライン・目次(外的フレーム)やアウトライナーを利用する
- [6]Scrapbox:全体をみわたす
- Scrapboxを「アイディア/資料をまとめて放り込んでおけるリソース・タンク」(p.130)としてつかう
- 具体的には、以下の手順でつかう
- テーマについてのProject作成
- まずはページを増やす
- テーマに関連したものを自分の内側/外側から集めて、1項目ずつページをつくる
- 最初のページとしては、PJT概要(企画の立ち上げ理由/きっかけ/書きたいこと/書けることetc.)を適当にランドリーリスト化したものをおく
- その他調べたことや注釈、あるいはインプットデータ(論文など)を切り出したり要約したりしたことをページにしたりして数十~数百のページをつくる
- この際、「同じような内容のページをまとめないこと」が重要(p.132)。複数の頻度で思いついたこと自体が重要な情報であり、ランダムに見て回る時の重みづけにもなるため。
- カードが一定程度増えてきたら、ランダムに、あるいはリンクをたどったり検索したりして読み返す(この行為が何らかの関連や構造、アイディアが浮かぶ仕込みになる)
- 「まとめないでまとめる」(p.133)
- 増えてきたページをランダム/非ランダムに見返すことでできたストーリーやアイディアをもとに新たなページをつくる
- より上位階層の「統合された」情報、というよりは「独立した一つのアイディア」としてページにする
- [7]締め切り:もっとよくすることをあきらめる
- 「実のところ、自分に対する要求水準の上昇は、執筆に対する高い意識がもたらすのではなく、ただ〈完成させることを引き延ばす〉という病の一つの症状に過ぎないのだ」(p.136)
個人的には[2]と[6]がかなり刺さった。
[2]のランドリーリストの考え方は、[1]の項の直後に
「けれども、私のような才能も能力もない者には「化物」のようなものであれ、ある程度の長さをもった文章を書きだすこと自体、まず難しい」(p.121)という問題提起から始まっている通り、
ノンストップ・ライティングとニコイチで備えているべき考え方やマインドとして有用だなと思う。
知的生産の方法を扱った様々な書では、知的生産の工程・手法を「発散」と「収束(整理・整除)」のいずれかに紐づけて考えることが多く、ここでもそれに倣って考えるとすると、
ノンストップライティングは明らかに「発散」に属する手法である。そこで生み出されるものは最終成果物にそのまま貼り付けられるような"綺麗"なアウトプットである必要はない。
しかし「ライティング」であることを意識しすぎるとどうしても、よくない規範意識みたいなものが働いて手が止まる。
そういう自縄自縛から抜け出すためのものとしてこの工夫は想定されている
「書けない」悪循環に囚われるたびに、主語・述語を完備した文を書くこともあきらめ、小さなメモに単語の過剰書きだけを書くようにした。
[..]
使い捨てる「買い物メモ」だと思うから、単語一語か時には略語、順番もバラバラ、何を書いてもいいので、なんでも書ける。気楽に書き捨てられる。
(pp.122-123)
このように変にハードルを上げて断片すら生み出せない自分への処方箋としての「ランドリーリスト」は、単純ではあるが有用な考え方だと思った。
続いて[6]のScrapboxの利用法もなかなか今の自分にはない発想で刺激になった。
あえてダブリを許すとか、それをランダムな発想過程における"重みづけ"として利用するとか、
「すべてを見渡せないこと」を割り切って肯定的にとらえて逆利用するこの柔軟さ、自分にはないなと感じた。
Scrapboxをつかうのは、こうして集めた資料なりアイデアを、自分のなかに置いておかないためだ。
一望化することも、記憶して頭の中に置くこともあきらめる。偶然の力を借りて、何か自分に追いかけられるもの、
追いかけるに足りると思えるものが、見つかるまで、ランダムにめぐる。
できる限り良い偶然が生まれるよう、ページを増やし結んで、整備していく
(p.135)
わりと自分はここ数年なんでもNotionでPJTごとにたくさん要件の分割に対応して子ページを増やしながらやっちゃう人だったんだけど、
これって少し引いた視点からみれば、トップダウンかつ自分が割と「神目線」に立てることを前提とした強気でマッチョな思想ではあるというか、
自分がデザインする分割統治のありかたこそ正しい、という強い仮定が成り立つことに依存したマネジメントにはなってるんだよな、と。
もちろんこういうスタンスが常に悪いわけではないのだけれど、すべてをこのやり方でやると結構対応できない場面が出てくるというか、
気軽に新しいテーマに着手しづらくなったり、気軽に(迂闊に)複数の書き物を進めにくくなるきらいはあるんじゃないかと気づかされた。
と、いうわけでアカウントだけ作ってからn年放置し続けているScrapbox*6を使い倒してみよう、という気にさせてもらえる執筆実践章であった。
千葉氏の執筆実践
小説を(も)書く方ということもあり、ご本人曰く「「出てくる」という意味では、ぼくは出てくるほうですよ。自由連想みたいなのはけっこうできちゃう」(p.95)ほうのタイプの方なので
4人のなかだとあんまり自分の課題感とかみ合ってない感じはありながらも、いくつか部分はなるほどと思ったので、引用しておく
手書きでも音声入力でも、冗長性がある、というかむしろ冗長性のほうがメインで
その端々に必要な内容があるようなものを出してしまって──それを座談会で僕は「土石流」と呼んでいる──、
その後、ザクザク切っていく。で、切ってから「あいだを詰めていく」ように書く。
これが、レヴィ=ストロースの書き方の僕なりの言い換えである
(p.148)
レヴィ=ストロースは読書猿氏が著作(やこの本の座談会中でも)においてしばしば言及しており、
この本では("フレームド"ではない)「ノンストップライティング」の"元祖"としての存在感がつよく、それを踏まえた発言。
"ノイズ"が混じるような形式でノンストップ・ライティングして、そこから「ザクザク切る」ことで断片を作り出し、その「あいだを詰め」ることで文章をつくる。
第一部の[工夫1]のところでも思ったことだが、読書猿氏のブログや著作でもともと「ノンストップ・ライティング」の考え方は知っていたが、
どうしてもその語感から、「一気呵成に大量の"文章"を書く」というイメージを個人的に持っていたが、
(上で見た通り)読書猿氏自身が「そんなに書けない」と言っているとおり、そこで吐き出されるのはまだ文章とは呼べない断片であってもいい、というのは大きな気づきであった。
あくまでも取っ掛かりをつくることが最重要で、それは「第ゼロ稿」である必要すらない。
断片のまず自分の外部に吐き出して、それを文章作成の手がかりとする、という手続きの有効性については
著者4人全員の共通認識となっているが、それを実現するマインドとかアプローチが四者四様なのは面白いところ
最初の「ドラフト」という意識の持ち方もよくない。。
「ドラフト」というとラフでも原稿として体を成している感じがするので、
さらにハードルを下げるには「素材」でいいと思う。素材の段階と、刈り込んで文章にしていく段階をはっきり分けることが必要。
で、それを以前はアプリを切り替えるという外在的な方法でやっていが、だんだん意識の上で切り替えができるようになってきた
(p.148)
ドラフトではなく「素材」としてとらえる発想はすごい大事だと思う。
(後述の瀬下氏の「メモに貴賤はない」の考え方と共通したマインドがあるような気もしている)
山内氏の執筆実践
- (読み物として)すごい面白かったんだけど、なんか今の自分に技法として取り入れやすいものがある感じではなかった
- 山内氏が元庭師(!)の学者ということもあって、作庭現場のフィールドワークをしながら執筆するその事例報告がこの章の多くを占めている
- フィールドノーツをEvernote(と紙のメモ帳)で、アウトライン構成と執筆をScrivenerでおこない、Workflowyをアウトライナーとしてではなく執筆日誌として活用した、というのはおもしろかった
- 「Workflowyの日誌化。日々の進捗を記録して振り返り、その日の執筆の流れを作り出すためのログ」(p.166)
- 朝起きてまずログを開くことを体になじませることが大事という思想。「スポーツも執筆もそのコアには身体と習慣がある」(p.175)
- 執筆は「流れ」であり、それをうまく発生させて、そして途切れないようにするために色々なメモ/メディア(アプリ)が存在するという考え方は参考になった
当時もっとも重視していたのは、真っ白なWordファイルに素手で挑まないこと
[..]
これはようするに、すでになにかが書かれている状態から書きたいということ、つまりは
執筆を可能にする客観的な制約をいかにしてつくりだすかということ。
そしてすでになにかを書いている状態を継続したいということ
(p.157)
- 最後の頁の以下の節に、すべてが詰まっている「執筆実践」だという気がする。アウトプットしてから思考すべし、ってことやねやはり(えせ関西弁)
この原稿をとおして気づいたのだが、ぼくはとにかく書く。
よくわからない文章を書いてしまう。書きながら何言いたいのか、いや、
むしろこの言葉たちが何を言いたいのかが、かろうじて見えてくる。先に骨格があって肉づけするのではない。
まず肉を、どうしようもない肉を引きずり出し、積み重ね、
あるとき「ああ、こうなるのか」と気づきが訪れる。
あとから骨をぐいぐい突っ込んだり、目鼻をつけたりして、それっぽい塊をつくっている
(p.176)
瀬下氏の執筆実践
文章のタイトルがズバリ「できない執筆、まとめる原稿──汚いメモに囲まれて」になってるところからも読み取れるように、4人のなかでも一番「書けない苦しさ」みたいなものを纏っている感じがする。そういう意味で「こっち側」感すごい*7。
彼のやりかたの要諦は、以下の一節にまとまっている
ぼくのやり方を一言でまとめれば、
可能な限り「執筆」なしで「原稿」を生成する方法だ。
そうはいっても、なにかしらの文字列がなくては始まらない。
そこで文字起こしや箇条書きのような謎の文字列──本稿ではこれを「メモ」と呼ぶことにしよう──をひたすらに生成する。
できもしない「執筆」から逃走し、そこかしこに「メモ」を撤き散らす。
それらを寄せ集めて、どうにか「原稿」をまとめていく
(p.179)
この「メモ」の確保に、音声コミュニケーションツールやチャットツールを利用する、という発想を面白いなと思った。
(秘匿性やテーマの専門性を共有できる人の少なさ的な意味で、ここは自分のいまの環境や課題感には合わないなというところではあったけど)
ただ、断片を発散的に生成するときの気構えとして「テキストエディタに向かうときとは異なる頭の引き出しを開けることが重要だ」(p.183)という形で媒体やツールを模索するのは大事だな、と思った
「メモ」生成という行為を"「執筆」せずに原稿を生成する"術の中核に位置付けている瀬下氏の「メモ観」が結構面白かった。
具体的には、
メモは、クオリティ別にみると、そのまま原稿に使えそうな整ったもの(「ブロック」)と、元のログに近いもの(「走り書き」)との二種類に分けられるものの、
この区別は、その後の処理や用途の違いには結びつくが、ここに重要度の違いはないと瀬下氏はいう。
ただし、それよりも重要なことは、なんでもいいから「メモ」をたくさん生成することそのものにある。
[..]
さまざまなメディアや形式をもつ「メモ」の間には、貴賤も重要度の差もない。それぞれに異なる価値がある。
[..]
そのため、すべての「メモ」を必ず残しておかなければならない。
せっかくつくった「メモ」を「汚いなあ」と思って消したくなることがあるだろう。それは罠だ。
[..]
そこには整文の過程で失われてしまったアイデアやトピック、情熱が焼きついている。
アイデアをあらゆるメディアに浸し、接触させ、変質させる。変形によって生まれた、種々の異本たちを残す。
ゴミや妖怪、弱く醜い動物たちの百鬼夜行のように雑然とした「メモ」を愛する。
それが「執筆」なしで「原稿」を仕上げる鍵だ。
(p.184)
"「メモ」から「メモ」をつくる"術として、メディア(アプリ・ツール)の切り替えを推奨しているのは面白いなと思った(p.187)
アウトライナーやPowerpoint/Keynoteに備わっている「箇条書きと階層構造をつくる」機能を"パワポ"と総称し、
Workflowyに書いたメモをKeynoteに移したりすることで新しい「メモ」やアウトラインをつくる、
という瀬下氏自身がいうところの「セコい方法」は、"執筆力弱者"の立場からするとかなり実用性や効能があるものだなと感じた。
ここまでくると、読書猿氏が「断念」のひとつとして推奨していたScrapboxの使用も、「メモ」から「メモ」を生成する支援ツールとして捉えることもできる。
「メモ」が増えた(具体的には書かないといけない文章の2倍くらい)ところで、「構成」や「編集」として執筆を進めるというやり方は独特だけど面白いと思った。千葉氏がいうところの"書かないで書く"のひとつのありうる形というか。
なるほどと思ったところ(第三部)
第三部は、各々が提出した"執筆実践"の文章を読みあったうえでの再対談かつ本書のまとめの章。
まとめ≒復習の章ということでそんなに"新しい視角"的なものが提示されるわけではないが、以下の千葉氏のひとことにこの本が語っていることのかなりの部分が集約されていく感じがああった
千葉
「もとが他者的なものだから割り切れるんだと思う
「書かないで書く」と前から言っていますが、みなさん共通して、
ゼロから文章を構築するイメージから離れることを目指してきたように思います
自分が書いているとはいえ他者的に生じちゃっているものを拾い上げて、ゼロから立ち上げる感覚を減らしていくことで、
オーサーシップが自分にない感覚に近づけようという考え方」
(p.238)
これは、上述の第二部の山内氏のことばでいうところの「すでになにかが書かれている状態から書きたいということ」にさらに言葉を足した感じの表現だが、
「オーサーシップが自分にない感覚」というのはなるほどな、という感じがした。
"自分から切り離されたものにしてから編集や操作の対象とする"という工夫が、心理的ハードルを下げていく(=「断念」を可能にする)ということだ。
読書猿
「振り返ると道々に「断念」がいっぱい落ちている気がします。
断念と断念させるものを外につくり出すことで、自分のような人間でも書けるようになるというと聞こえはいいですが、
実情としては「書くしかなくなる」と「書いてしまった」が積み重なっていくばかり。
そして、すでに書いてしまった自分を認める=諦めるしかないと」
(p.248)
総じて、断念と許容、「だらしなさを許す」(by千葉, p.212)という感覚を
ポジティブなものとして捉えられるようになることの効用を説いている本であると感じたし、
全体を読み通して、自分もそこに実践的な意義を感じた。
AIの進歩やさらに充実したツール群とどう組み合わせるか
- 2021年発売の本なので、生成AIの波がくる前夜の時期の実践集みたいな位置づけでよむこともできる。したがって、「この本で提案されている工夫(あるいは執筆の苦痛に対する抵抗手段)をAIによる効率化などとどう組み合わせることができるか」というのはひとつのテーマになりうる。
- ちなみに私は全然AIによる効率化・生産性向上の波に乗れていないほうの人間なので、実際にそれがどれくらい実効性あるかとかはぶっちゃけあんまりわからない。そろそろ諸々調べて取り入れないとである。
- KJ法のA型(図解)とB型(図解を文章に直して一つの文章にする)の話がpp.70-71で出てくるが、たとえばScrapboxとかでアイディアや情報の要素とその関係性について記述した「部品(あるいは断片)」を作っておいてから、それをひとつの文章の骨組みとするときに各AIが使えると思った
- 第二部で、そこまでガチガチ過ぎない形(検索性と偶有性を両立するような)で"全体を見渡すことをあきらめる"ツールとしての「アイディア/資料をまとめて放り込んでおけるリソースの・タンク」としてのScrapboxの使用を読書猿氏が提案しているが、「断片(ページ)を増やす」発散段階でも、「偶然の力をかりて"まとめないでまとめる"」インキュベーション段階でも、AIは効率化と試行回数の倍化に用いることができそうだ
- (どれくらい依存するかはともかく)AIにインプット情報を要約・整形させることは多くの人が現在やっていると思うが、そのインプットの形式自体をある程度指定できるのもAIの利用意義としてある。だからこの文脈でいうと、次段階の編集や並び替え、分類等etc.がしやすい形の「断片」のフォーマットをここで作ってもらうのがよいのだろう。
- あとは、「フレームド・ノンストップライティング」的なやり方をひとつの動力として使っていきたいときに、フレーム(外枠)としての見出しやアウトラインをいくつかの形式でAIに提案させる、というのは素直な利用方法として思いつく。
- これはちょっと脱線になるが、(自分はそういう用途で使用したことはないが)AIとの対話をある種のカウンセリングツールとして位置付ける、みたいな話をときどき聞いたりするけど、わりとこの「ライティングの哲学」の裏テーマとして書くことの"心理的ハードルを下げながら自分を励まし続けること"みたいなものを感じるので、そういう意味での活用とも親和性が高いのかな、と思った
- 瀬下氏の執筆実践にて、音声配信での喋りの書き起こしやチャットログをメモにしていく、という話があったが、対話形式にすることでよりカジュアルに「断片」をつくりだす、というのはひとつの"書かないで書く"方法ではあるのだろう
- 昨今iPaaS系の各種サービスの充実がめざましいが、執筆はできなくても手続き化された「作業」に変換することでアイデアの自動生成プロセスを発動させる、という方法とのfittingがよさそう、と思った
総括的かつ適当な感想
本をひらいてまず目に入る「はじめに」の部分で、山内氏はこう言っている
ここではたまたま「書くこと」がテーマとなっている。
けれどもっと広く柔らかく「つくること」と読み替えてもかまわない。
書くことの哲学、あらため、つくることの哲学と!書くこと、つくることをより自由に、気楽に、気にせずに、言ってしまえばもっと適当にやってしまうこと。
(p.6)
ここの箇所、初見は何を言うとるんですという感じだったが(スミマセン)、一通り読み終わってから戻ってくると確かになぁ、となる。
ある程度のボリュームの文章を安定的に生産する仕組みづくりの話をすると、それは必然的にものづくりの話にもなってくるのだ。
そういう見方からすると、ここで推奨されている「断片」ベースのものづくり(≒ライティング)は、
WBSを切ってスコープを丁寧に定義してから始めるウォーターフォール型のPJTというよりは、
よりアジャイル型……?いやアジャイルでもないな?かといってプロトタイプ型…でもないが、
まず断片を生成してそれを編集したりつなぎ合わせたり触媒とすることで、何かが立ち上がってくるプロセスを重視するような、
ボトムアップ型の開発工程として捉えられるだろう。
※まぁでもフレームド・ノンストップライティングとかは、NTWの定義とATWの生成を往還する感じがアジャイルというかスパイラル型開発っぽいと思う
自分の話をすると、わたしは仕事を進めていくときに
トップダウンに要件を下ろしてWBS切ったりしてかっちり計画していくアプローチをとりがちで、もちろんそっちにもメリットはあるのだけれど*8、
この本で提案されているような、「断念」と「断片」重視のマインドで初動のハードルを下げながらも、
そこに随伴する乱雑さやランダムさを積極的に利用する"ものづくり"のアプローチを自分の中に取り入れたいと思った次第。
Enjoy!!
*1:って言葉自体がかっこつけてる感じがしてしまって個人的にむず痒いのだけれど
*2:こうやってすぐに「まとめ・要約」したがるのが現代人の悪いところではあるが
*3:いや"営為"みたいな格式ばった言葉使うのは、文を書くことの敷居を上げてしまって、この本のマインドとは相反してしまう気もするが
*4:そもそもフレームド・ノンストップライティングという技法自体がアウトラインの分割からはじまるという性質を有している
*5:もちろんこれは自分の課題意識とかがたまたまこの二人とシンクロしているだけで、ほかの二人が劣っているとかそういう話ではない
*6:いまは正確にはConsenseか
*7:むろんそれは幻想で全然私なんかとは基礎的なクリエティビティが段違いというのは理解しつつも
*8:工数の見積や協業がしやすいとか
最近よんで・みて印象に残ったもの(2025夏~初秋)
例によって最近じゃないものも含むやつ
鳥頭ゆえ,仕事に関係ないものを読んでも(いや関係あってもだが)すぐ忘れるので、本当はもっと細かに記録しなきゃなんだが
- J・ティペット(2024=2025)『エックスジーニアス:確率と統計で観るサッカー』
- 伊藤将人(2025)『移動と階級』
- 映画『リライト』
- 映画『オッペンハイマー』
- 町田康『ギケイキ』1~3巻
- 佐藤卓己(2024)『あいまいさに耐える:ネガティブ・リテラシーのすすめ』
- 橋本陽介(2018)『ノーベル文学賞を読む』
- 「アウェイサポ、鹿児島でなにしてる?」(KTS鹿児島テレビ 公式Youtubeチャンネル)
J・ティペット(2024=2025)『エックスジーニアス:確率と統計で観るサッカー』
- 発売前にSNSで知って興味がわき購入。てっきり『サッカー データ革命:ロングボールは時代遅れか』や『サッカーマティクス』のような、サッカーをめぐる統計や数理の話をガッツリ取り扱うだろうと思い込んでいたのだが、どちらかというデータサイエンスよりっていうよりはクラブ経営にかんする記述が厚い本である。まぁこれはこれでおもろかった
- ひらたくいえばサッカー板『マネーボール』と思ってもらえればいいと思う。サッカーにおけるデータ活用関係のトピックにそれなりに触れている方なら分析面に関してはあんまり初耳の情報はないんじゃなかろうか。
邦題サブタイトルのわりに、確率と統計の話はあんまり出てこない
- ひらたくいえばサッカー板『マネーボール』と思ってもらえればいいと思う。サッカーにおけるデータ活用関係のトピックにそれなりに触れている方なら分析面に関してはあんまり初耳の情報はないんじゃなかろうか。
- ブライトンやブレントフォードが主にデータ経営っつーかxG-basedなクラブ経営を活用した「成功者」として描かれている。
- この二つのクラブは著者曰く「サッカー界の一卵性双生児」(p.29)であり、いずれもオーナーが(スポーツ・)ベッティングでの経験を豊富に有していたり、「データ・ファースト」経営を可能な組織構造を整備してたりすることで共通している
- "データに基づいたクラブ経営の中心にxGを位置づけることが成功への鍵となったんだぜ"ということをすごい記述を厚くしたり色んなエピソード加えたりして言ってるのがこの本、という印象だけど、なんかxGってそんなに中立的な指標として考えていいんだっけ?みたいなのが気になってしまった
- それは① xG自体が同じインプットによっても立脚するモデルによって異なるアウトプットを吐き出すというモデル依存性をもつ、②「xGとの実ゴールとの差分」(≒モデルにおける「誤差」)自体がチームの競争力となる隠れた変数との関連を持っている可能性がある、という二つの理由による
- でも終盤の章でも紹介されている「枠内ゴール期待値」ことxGOT(日本語での説明記事の例)とかを使えばストライカーの"実力"がxGOTとxGの差分として計測できるから、そっちでカバーできるという発想になってるのかな
- 実は個人的に一番刺さった(し、特定のクラブを長年応援してるサッカーファンなら他の多くの読者も刺さってそうな箇所だといえる)のは、xGとかデータサイエンスとは直接関係ない以下の記述だった。なんか胃が痛くなるサポは多かったのではなかろうか。
成功させなければならないのはチーム自体の進化だ。
逆に避けたいのは、ある監督のためにチームを作り、
その監督が去ったあとに次の監督に向けて全く新しいチームを作り直すことだ
(p.105)
- この「チーム自体の進化」をどう定義するか、というところにクラブ力というところが出てくるし、(社長でも強化責任者でもいいので)そこを明確に言語化したうえで通底させるリーダーシップを目先の結果に一喜一憂せずに発揮し続けられる人材を抱えられるかどうかで、かなり差が出てくる時代だという印象がある
- もう10年以上前の本になってしまった『アンチェロッティの完全戦術論』を8年前に読んだ時、「もうトップレベルでは職務分掌が進んできているので、監督個人の力量というよりは専門性の異なるコーチングスタッフをどう組織化するかという時代だ」という感想を持ったのだが、さらにそれを支えるミドルオフィスというか評価・分析部門の充実が競争優位性のうえで重要になってきている時代なのかも、という印象だ
- むろんプレミアの競争環境とJの競争環境は、財政規模的にも文化的にも異なると思うので、そのまま海の向こうのベスト・プラクティスをもってこればいいみたいなハナシにはならないのが難しく面白いところではあると思う
- 人を増やせばいいのか、プレミアのクラブくらい人を雇える金があればうまくいくのか、というとそういう短絡的な話ではない、とはなんとなく感じている
- 関連して、(クソがつくほど飽き性の自分が奇跡的に初回から4年以上継続的に聴いてるpodcastである)「START/FM」の最近の回で、Justin.tvやTwitchの創業メンバーであるMichael Seibelの「More Workを成し遂げるにはMore People(人を増やす)よりMore Organization(仕組みの整理)」という言葉が紹介されていたのだけど、まさにそういう観点が必要なのではないのかと感じた。
- "新しいデータ指標やデータ人材を増やせばうまくいく"のではなく、意思決定の仕組みを一緒に整備しないと中長期的な優位性にはつながらない。そしてそのためにこそ言語化の努力に組織として取り組む必要がある、ということだ
- もう10年以上前の本になってしまった『アンチェロッティの完全戦術論』を8年前に読んだ時、「もうトップレベルでは職務分掌が進んできているので、監督個人の力量というよりは専門性の異なるコーチングスタッフをどう組織化するかという時代だ」という感想を持ったのだが、さらにそれを支えるミドルオフィスというか評価・分析部門の充実が競争優位性のうえで重要になってきている時代なのかも、という印象だ
- これは内容とは関係ないけど、訳者あとがきが我らが"妖精"ドラガン・ストイコビッチ*3の言葉で始まるのは、名古屋サポ的には地味嬉しいポイントだった。
「日本がW杯優勝のチームと10回戦ったとする。他の競技ならまず勝ち目はないだろうが、サッカーなら3回くらいは勝てる可能性がある。これがサッカーのおもしろさであり、怖さでもあるんだ」
本書を読んで僕が最初に思い出したのは、ストイコビッチが離日直前に語った言葉だった
- この前のグランパスの鹿島戦は, 「3回くらいの勝てる可能性」は引けなかったなぁ、と思ったり。この記事を書き進めてる間に日本がブラジルに勝っちゃったりしたけど、その試合に比べると「何かを起こす」準備もあいまいだったなぁ、と。
伊藤将人(2025)『移動と階級』
- 基本的に構成としては「X(階級・性別その他の要因」)が移動可能性/実際の移動行動に影響している」という命題を, 変数Xをかえながらどんどん検証・提示してくという形の書。そこそこというかかなり売れているらしいが、あまり「驚きの事実」みたいなのはなかった。でも文献レビューの箇所含め, 当該トピックにあまり詳しくない人(私も含め)への入門書としてはよいのではないだろうか
- KaufmannのいうところのMotility(可動性, あるいは潜在的移動可能性)を「移動資本」と呼び、さまざまな分析を行っている*4
- 移動「資本」と名づけることで①「過去の移動経験の蓄積」がさらなる移動可能につながるという蓄積性、②「将来の移動可能性や、移動する価値があるという判断したときの移動能力」の不均等性、の二つの性質をとらえようとしている(pp.42-45)
- アーリ(この人は流石に私でも聞いたことがあるぞ, mobility studiesの大御所だ)の「ネットワーク資本」概念も類似概念として紹介されている。
- 「移動が/移動を可能にしている現実の社会諸関係と潜在的な社会諸関係を指し示すもの」でその多くの構成要素にインターネットの普及がかかわっている(pp.46-48)
- もう読んだのが結構前なのでわりと忘れちゃったんだけど、あとがきだったか結論だったかで紹介されていた、限界集落に住んでるおじいちゃん?の「この地域はもう滅んでいくだろうけど、俺はそれでもこの場所が好きなんだよね」(大意)みたいな言葉が一番印象に残った
- 地域間格差とか過疎⇔過密の問題を考える時、効率性とか「○○上の有利/不利」みたいな話をまず枕に置きがちなんだけど、そもそも"「この町や村で育ってきた」というひとつひとつの人生の歴史が、その地域の固有性と分かちがたく結びついている"ということを考えなきゃいけないという著者の問題意識を感じた。どっちも大事だよね、むずいっすなー。
映画『リライト』
- ずっと好きな劇団であるヨーロッパ企画の上田誠さんが脚本ということで観に行った。個人的にはここ1-2年で劇場でみたものでは一番おもしろかった(ヨーロッパ企画が好き ≒ 時間モノSFが好きといっても過言ではないので、その嗜好に合っていたというのはもちろんある)。監督は『バイプレイヤーズ』や『ちょっと思い出しただけ』の松居大悟さん
- 『サマータイムマシンブルース』『リバー、流れないでよ』『ドロステのはてで僕ら』『時をかけるな、恋人たち』などでひたすら"時間系SFをどう面白くみせるか"に心を砕いてきた上田さんが脚本担当という点で信頼度はすごかったし、テンポの良い会話で笑わせるところとかはヨーロッパ企画イズムみたいなところを感じたりした
- とくに倉悠貴さん演じる茂のネタバラしパートの「別に男でもいいことに途中で気付いた」みたいなところで声を出して笑いそうになった。いやすごいシリアスなところなんだけど
- TV普段見ないこともあって倉悠貴という俳優をはじめて知ったんだけど,個人的には間違いなくこの映画のMVPであってとてもいい役者だと思った。これからも注目したい。
- とくに倉悠貴さん演じる茂のネタバラしパートの「別に男でもいいことに途中で気付いた」みたいなところで声を出して笑いそうになった。いやすごいシリアスなところなんだけど
- でもなによりこの映画のすごいところって, 「時間」の表現だけじゃなく「空間」の使い方がとてつもなく巧みなところで、舞台である尾道の(風光明媚でありながら)立体的な街並みや、高校の校舎の存分に活かしているところである。
- 特に過去編のクライマックスたる夏祭りのシーンはその「空間」表現の極致といったシーンであり、記事「 松居さんとリライト。 | みんなのミシマガジン」で, 上田さん自身がその苦労を以下のように語っている
映画中でも、クラスメイト全員の行動を矛盾なく制御する大頭脳労働、みたいなシーンがあるのだけど、まさに今スタッフがそうなっているそう。
たしかに地獄だろうなあ、空間のパズルね、と思ってそう送ったら「空間のパズルね、じゃないよ」と返ってきた。怒っているのかもしれない。この作業の凄絶さは、映画を観た方なら想像つくかもしれない。
夏の盛りに、キャストスタッフ全員であれを理解して、実際にやるわけです。なんなら日に焼かれた校舎裏や、影ひとつない炎天下の屋上で
-
- 5年くらい前にひっそりと(?)地上波でやっていた「ヨーロッパ企画のyou宇宙be」という番組で, 松居さんと上田さんが対談しているなかで「映画は時間の芸術であり、演劇は空間の芸術である」という話が出ていたのを記憶しているんだけど、この『リライト』は時間の芸術たる映画のなかでもさらに時間系SFという"時"に特化したジャンルでありながら、高度なレベルで空間の芸術でもある、稀有な作品だと感じた
- 尾道という街自体の魅力をとてもよく伝えている映画でもあると思う。自分も行きたい。映画史に疎いので知らなかったんだけど、大林監督の『時をかける少女』の部隊が尾道だったりで時間映画にゆかりのある土地なんすね。
- 高校時代の先生役の尾美としのり,主人公の母親役の石田ひかりの両氏も大林監督の出演者であることによるオファーであるっぽい
- 公式サイトが凄い丁寧なロケーションマップを載せているので、それを片手に歩きたい
- 自分が観に行ったのは公開1週間後くらいだったけど、映画自体のクオリティに対して客席はすごい空いてたのが寂しかった記憶がある。そんなにちょっと個人的にはとんでもなく面白かった映画なので、惜しいなぁと思う。
- 公開から1か月くらいで上映中の劇場もどんどん少なくなっていくのがせつなかった。
- いや『国宝』も凄いんですよ。凄いんですけどね*5。クオリティの作り方が別ベクトルだから単純比較はできないけど、凄味においては『リライト』も負けていないと個人的には思うので、どんどんスクリーンを譲ってしまってよいような作品じゃなかったよなぁと思う。9/12から配信されているみたいなので、なるべく多くの人に見てほしい
- 主題歌「scenario」を歌っているRin音というアーティストもこれまで知らなかったんだけど、この「リライト」の世界観にぴったりの曲を作っていて感銘を受けた。
- 何が凄いって、映画を観たら2曲作りたくなってどっちを主題歌にするかは映画サイドに選んでもらったって話である(インタビュー記事のURL)。才能の迸りがすごい。
- 主題歌の「scenario」はエンドロールで流れた時点でかなり琴線に触れたんだけど、帰って歌詞をみるとさらに感動が増幅されるようなすごい曲だった。「よく似ている私の思い出がなぜか33個ある街」のフレーズはゾワっとする破壊力である
- その主題歌に選ばれなかったほうの「貴方に晴れ」は、Rin音さん本人が「映画を観て、茂(演:倉悠貴)の目線をどうしても詞にしたかった」というモチベーションを語っているように、この映画を観た10人中8,9人は抱いただろう「茂、お前がナンバーワンだ」という思いを見事に音と詞に昇華していて、喝采を送りたい気分になった。
- やっぱこいつが影の主役だよなぁ、と深く頷いた。これまで見てきたフィクションの登場人物のなかでも最も偉大なプロジェクト・マネージャーであると思う。辻褄合わせの神と呼ばせてほしい。
映画『オッペンハイマー』
- 出張の長距離移動中になんか仕事する気も起きなかったので観ていた。原爆投下後80年、自分の今住んでいる国・地域的に無視できないテーマでもあったので。
- とくにこういう史実をもとにした半ノンフィクション的な作品だと、(自分の悪い癖で)映画館じゃなくて配信サービスで観てると結構止めて登場人物の背景とか調べちゃうんだけど、主要人物がみんなモデルとなる人物の実際の写真にすごい似せられていて、それがすげぇなあと思った。メイクする人すごい
- 原子爆弾開発のためにロスアラモスにちょっとした街まで作ってしまうのがアメリカのパワーよなと思った。『失敗の本質』にも、長期戦を見据えていたかどうかに日米の差があらわれていたみたいな節があったと記憶しているけど、確かにこれは短期決戦志向ばかりが頭にある組織にはできないリソースの使い方だ
- 「え、これ必要?」みたいな濡れ場が唐突に挿入されるのが結構違和感あった。あれ?ノーランってそういうことする人だっけか感。
- テーマがテーマということもあり、日本公開が遅れたり、被爆側の被害・苦しみの描写の少なさに批難が集まったり...という情報は前もって知っていたが、まぁ割り切って観れば映画としては面白くはあった。
町田康『ギケイキ』1~3巻
- タイトルの通り「義経記」をモチーフにした、ロードムービー的小説。長い。むっちゃ長い。
- もともとは前に読んだ、清水&高野『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』で勧められていて読み始めたシリーズなのだが、なにぶん各巻がべらぼうにボリュームある(3巻とか500ページ弱ある鈍器である)のと単行本で読むとめっちゃ時間空くので、毎回結局はじめから読み直す*6。ゆえに読むのめっちゃ時間かかる
- たぶん次の4巻で完結だが、2巻が2018年刊行で3巻が2023年末刊行なので、確実に4巻が出ることにはまた全てを忘れているだろう。いとかなし
- 町田康節というかポップすぎる文体で義経の旅と人生を描いていくのだが、その割に上述の「ハードボイルド~」でも中世史の専門の先生が激賞しているように、時代背景への考察・理解がめちゃめちゃ深い(当時の土地の重層的な所有権のありかたとか、祈祷や超自然的なものへの信仰の重要性とか)
- 普通は源義経の人生のクライマックスといえば源平合戦で華々しく勝利を収めていくところだが、なんとそこをバッサリカットして、頼朝に出会うまでと頼朝に敵認定されてからだけを描くという思い切りのよさである。以下の1段落で済ませている
このことを私はここでは語らない。
なぜなら語ると結果的に自慢になってしまうから。自分がいかに輝かしい勝利者であるか。自分がいかに楽しい人生を送っているか。
そんなことを写真や短文で頻りにアッピールする奴。それは悲しい奴である。確かに私は悲しい奴で、これは悲しい物語だが、私自身はけっこう楽しかった。
こうして語っているいまもマア楽しい。だから語らない。知りたい人は平家物語とか読めばよい。虚実取り混ぜておもしろおかしく描いてある。
大河ドラマとかにもなっているし。
(2巻,p.16)
- 基本義経視点で進むけど急に他の人視点になったと思ったらなんか全然戻らない、みたいなことがしばしば起きる小説で、1巻とか急に100頁くらい弁慶の人生が詳しく語られるんだけど、地味にそういう所が超面白かったりする
- 弁慶って生まれはめっちゃ高貴なんすね。知らんかった。弁慶母(二位大納言の娘で右大臣の婚約者)はもともと別のとこに嫁いでいたんだけど、それを熊野弁当が連れ去って無理やり自分の妻にしたのが弁慶で、それが院庁マターになって戦が勃発しそうになった、みたいな話が書いてあった。へぇ~
- 普通に知識として勉強になることも結構あるんだけど、基本的には町田節を雰囲気で楽しむ小説ではある。個人的には↓らへんが気に入った
六波羅の者ならまだよいが、
盗賊風情にこんなことを言われたということをそのままにしておいたら、
それがいつまでも心の隅にあって、この先、
平気を滅ぼすことに前向きになれない。
ポジティブな気持ちで平家を滅ぼせない。絶対に嫌。
(1巻, p.57)
さあ、それで私が門の外に出撃していったかというと当然、そんな阿呆なことはしない。というのは当たり前の話だ。
たった一騎で大勢が待ち受ける門外に討って出るよりは、門内で待ち受ける方ががよいに決まっている。
戦争というのはそうして当たり前の判断ができる者が勝つ。にもかかわらず多くの人がともすれば当たり前じゃない判断をしてしまいがちなのは、あちこちで人がバンバン死ぬという当たり前じゃない光景を目の当たりにして、こんな当たり前じゃないときに当たり前のことをしていたら負けるのが当たり前だと当たり前に思ってしまうからである。
なので、上司とかそういう立場の人が当たり前じゃないことをやり始め、異議や疑義を唱える者に、
「なにを言う。いまは非常時だぞ。そんな当たり前のことを言っている場合か」なんていいだした場合は、諸共に滅んでしまう可能性が高いのでその上司を殺すか、それが無理ならそっと戦線を離脱した方がいい
(2巻, pp.140-141)
- ↑これはマジで金言というか、私は戦場に出たことはない(し、願わくはこれからもそうであってほしい)が、「非常時だから当たり前のことなんてしてられるか」ということを言う人*7が発生しがちな状況というのはまぁ人間社会に結構あるのだが、「当たり前の判断」を手放さない強さやしたたかさ的なものが必要になってくる
しかし私から見れば、あの頃の私たちと比べて合理的で理性的であるとは思わない。
それどころか、今の人間のほうがより、そうしたものに行動を規制されているように見える。なぜならあの頃は、そうしたものにある程度、統一された規格があったが、
今の人は個々人が勝手に、いろんなところで聞きかじった断片的な知識に基づいてスピリチュアルに支配され、
方角がよいだの、気がよいだの、運気が上がるなど、結婚できるだの、カネが儲かる、といった
錯覚と迷妄にとらわれて、非科学的で合理性を欠く行動をとっているからである。
(3巻,p.211)
佐藤卓己(2024)『あいまいさに耐える:ネガティブ・リテラシーのすすめ』
こうした輿論と世論の混同、さらに「輿論の世論化」こそ、
総合雑誌を含むジャーナリズムから責任感を奪ってしまった一因と私は考えている。
輿論(公的意見)を指導するなら当然責任も問われるが、世論(全体の気分)を反映するだけなら無責任でいられるからである
(p.95)
結局, 流言は人間がコミュニケーションする過程で善悪にかかわらず必ず発生するノイズである。
その発生を防ぐことは原理的に不可能である。だとすれば、
その発生を前提として混乱を最小限にとどめる情報システムの構築が求められる
そのためには、まず国家による情報公開の拡充、さらにそれを報じるメディアの信頼性向上が求められる
(p.38)
- 科学的世論調査の端緒(1935のジョージ・ギャラップによるアメリカ世論研究所設立)は、戦争を背景としている。ゆえに、(「支持率」などの使用による)迅速な"民意"の調達という形式での現在の世論調査は"総力戦"体制との親和性がある(第一章)、とのこと
- 「輿論と世論」でも少し触れられていた気がするが、世論調査とマーケティング業界は不可分という話があった
世論調査会社の創業者はいずれもマーケティング業界の出身である。
結局, 政治の「世論調査主義」と放送の「視聴率至上主義」はコインの裏表である。どちらも、観客(オーディエンス)の「思考」ではなく「嗜好」を計量するシステムなのである
- 支持率志向型政治あるいは「世論調査政治」の問題点を幾度と指摘している。確かに内閣が変わったりスキャンダルが起きたりするだけで数十%のオーダーで上下動するものはopinionというよりsentimentの測量値でしかないのかもしれない
しかし、内閣支持率に象徴される世論調査のデータはどのように得られた数字だろうか。
コンピュータでランダムに電話するRDD方式が一般的だが、回答者は電話口で即答を求められる。
食事どきに唐突に内閣の支持や消費増税の是非を問われたとき、日頃マスコミが報じる多数世論をオウム返しに回答する人は少なくない
[..]こうして増殖する雰囲気の統計値を「民意」とみなすことははたして理性的なことだろうか。
それは公的な意見(輿論)と呼べるものではなく、私的な心情(世論)の分布に過ぎない。
だが、この世論(セロン)が現状では「ヨロン」という理想的響きを帯びて、あたかも「日々の国民投票」のごとく政治的正統性の裏付けに利用されている
(p.55-56)
- これに関連して、critical thinkingにあてられがちな訳語としての「批判的志向」ではなく、時間的吟味に耐え簡単には風化しない「耐性思考」の重要性を筆者は主張している。
- この本を読んでいる間に自民党総裁の交代があり、時事通信の記者が新総裁に対して「支持率を下げてやる」と発言したという事象がニュースになっていたのだけど、そういうニュースに触れると、尚更この本における佐藤氏の主張についてメディア関係者は少しでも一読したほうがよいのではないかと思った。最終的にどういう態度をとるのかはそのあと決めればいいんだしね。
- おそらく真の問題は記者が政治家に対して無礼な振舞いをしたことそれ自体ではなく*8、政治家だけでなくメディアにおいて情報発信の当事者となる記者自身が"「支持率」至上主義"を内面化してしまっていることの浅薄さにある、といえるのではなかろうか。報道の主体がopinionではなくsentimentにしか目を向けられなくなったら、未来は暗い。
橋本陽介(2018)『ノーベル文学賞を読む』
- SNSを眺めていたら↓の,著者の販促投稿が流れてきたので買った。素直な男なので。
ノーベル賞の季節なので『ノーベル文学賞を読む』を買ってください。キンドル版が今半額です。https://t.co/DYyNWJZSVt
— 橋本陽介 (@qiaoyang915) 2025年10月6日
- 著者の問題意識として、「ノーベル文学賞の受賞者決定の季節になると、その選考の政治的・文化的・言語的偏りばかりが取り沙汰されるが、受賞作は面白いんやからまずは読んでほしい」というシンプルな思いがある。
- 正直文学の専門的な解釈とか研究としての扱い方みたいなのは分からないし、興味もそんなに惹かれないんだけど、この著者の小説観みたいなものはすごい共感できた。
- とくに以下の一節は、読み進めていた思わず「そうだよな!」と膝を打った。
小説化するとは、出来事に還元すること、描写に還元することであって、
何らかのテーマを説明することではない。
このため、テーマがはっきりした小説、言いたいことを一言で括れる小説というのは、
たいていダメな小説である。上質な小説は、様々な要素が複雑に絡み合い、ひとつひとつの文にも見どころがあるから、
取り上げる箇所によっても違う読み方ができるし、読む人によっても違ってくるそういう小説は何度読んでも新たな発見がある
(p.51)
- 自分が一番好きなというか人生で一番心に刺さった小説は、大学生の頃に友達からすすめてもらった保坂和志『季節の記憶』なんだけど、この本はまさに「言いたいことがをひとことで括れない」小説であり、「何度読んでも新たな発見がある」小説で、何より「一言にまとめる」ことができない小説である。
- 一言にまとめにくい、ということは人にわかりやすい売り文句ですすめにくい、ということでもある。それでもそのときの自分にドンピシャだったものをすすめてくれた旧友に感謝である
- 南米文学(やそこから影響を受けた文学)における「魔術的リアリズム」について、単語だけは知っていたが、わかいやすい説明のおかげで理解した気になれた
- 次の一節も深く頷いた。
外国文学を読む場合に、同国人と同じように読めるのか、という問いがしばしば発せられる。
文化的背景や知識が違えば、同じ小説を読んでも感じ方は異なってくるエジプト人が読むマフフーズと、日本人が異なるマフフーズは異なるに違いない。
しかし、エジプト人が読む読み方が正しいわけではない。
日本人の読者としては、日本人の読者としてテクストと向き合えばよいのである。(p.59)
- もちろん職業的翻訳者や文学研究者とかはそれが書かれた現地の文化的背景や歴史的経緯みたいなものを抑えておく必要はあるとは思うのだが、フィクションをフィクションとして楽しむ我々が「100%"現地の視点"を理解できないから...」と勝手にハードルをあげてしまうことで、外国の文学やその他フィクションを作品を楽しむことに二の足を踏むのは人生における機会損失だと思う。
- 別にこれは海外文化や外国語の理解というトピックに限らないことだが、知識というのはそれ単体の点ではなく意味のネットワークの網の目がある程度形成されてはじめて意味を成してくる、という側面があるので、「正しい理解」ができなくてもとりあえず適当なところに錨を下ろしてみてそこから広げていく、という姿勢が肝要である。まぁ分かっていてもなかなかできないんだけど
- とかいいつつ私も海外フィクションに関しては数年に1回くらいミステリを読むくらいなので、もっと増やしたいと思った
「アウェイサポ、鹿児島でなにしてる?」(KTS鹿児島テレビ 公式Youtubeチャンネル)
- 最近のJに関するコンテンツでダントツと言って間違いないチャンネル
- サッカークラブが各地域にあることが、人と人、地域と地域の"縁"の結節点になっているということをこの上なく感じさせてくれる番組である
- 自分は物心ついたころから家族の影響で応援しているクラブがたまたま大都市の(2017年の1年を除いて)J1に居続けているクラブでしかもオリジナル10だったりするので、応援対象のクラブは「自分の存在に先立って既にそこにあり、これからも恐らくは自分の行動に関係なく存在してゆくもの」という形で(たぶんどこか無意識的に)認識してしまっている。この番組はそういうJ1クラブのサポにこそ刺さるんじゃないかなぁ、と思った
- この番組に登場する各J3クラブのサポーターは、個人の歴史とクラブの歴史が折り重なっていく感覚を楽しんでいるように見える。それはクラブの歴史が若かったり、規模がまだ小さかったり、あるいは存在する地域自体がJ1に比べるとより"大都市でない"土地だったり、と色々理由はあるんだろうけど
- 「気が付いたらマイクラブを応援することが生活に融け込んでしまっていた」という人は、応援するクラブのカテゴリーや国を問わずサッカーファンに沢山いる(し、私もそんな一人ではある)が、クラブが存在することも同じクラブを応援するサポーターがたくさんいることも当たり前になってくると、応援する「理由」みたいなのを考える必要もあまりなくなってくる。その「理由」を再考させてくれる番組だと思う。
- (当初Jクラブがなかった地域である)奈良クラブや福島ユナイテッドの回で出てきたサポーターが、「応援するJクラブが地域にあることで、大好きな奈良を/福島を大きな声で叫べる」ことの良さをしみじみと本当にうれしそうに語っていて、ハッとさせられた
- この番組のすごいところは、各クラブのサポーターが彼/彼女らのひとりひとりの人生のなかでどういう歴史を経てその応援する「理由」に辿りついたのか、みたいなところを楽しく(←ココ重要)描いてるところだなと思った。もちろん「いい話」もあるんだけど、それを語る前提としてまず登場するアウェイサポの皆さんが本当に楽しそうなのが、サッカークラブが地域に存在することの意味を改めてポジティブに感じさせてくれる
- 長年同じクラブを応援してきて、戦術がどうだ監督がどうだ選手のパフォーマンスがどうだ勝敗がどうだばかりが気になっちゃう(いやそれはそれでサッカーを楽しんでるのでそのままでも全然良いんだけど)状態にあるサポーターがこの番組をみることで、良い意味で肩の力が抜けて、さらに別の方向からのマイクラブを愛し方を探し始めるきっかけになるような、そういう素晴らしい番組だと思う
- あと単純に鹿児島のいろんな美味しいものが食べたくなったり、それ以外にも国内旅行にいきたくなったりする意味でも単純に観てて楽しいコンテンツだと毎回感じる。地方局の情熱とクオリティ、ハンパないって!という気持ちになりますな(鹿児島だけに)
終わり!
↓バックナンバー
ronri-rukeichi.hatenablog.com
ronri-rukeichi.hatenablog.com
Enjoy!!
ggplot2で図を作るとき、Y軸のタイトルをタテ書きにするときに使う関数
備忘of備忘。
以前こっちに書いたと思って探したら(たぶん)書いてなかった
library( tidyverse) library( ggplot2) library( panelr) data("WageData") dfWg <- WageData %>% group_by(union , occ) %>% summarize(lwage = mean(lwage)) %>% as.data.frame() gg_wage <- ggplot( data = dfWg , mapping = aes( x = occ , group = union , fill = union, y = lwage)) + theme_minimal(base_family = "Meiryo") + geom_bar( stat = "identity" , position ="dodge") + ylab("テストtextだよー")
こうやって普通にやるとY軸の説明文がヨコ書きになる

が、これは読みにくいのでタテ書きにしたいときがある
以下みたいな関数をつくって、theme(axis.title.y= element_text(angle=0))を付け加えることで縦書きのテキストにする
to_tategaki <- function(tgt_str){ #一旦配列にする tgt_str_arr <- str_split( tgt_str , "")[[1]] #横の伸ばし棒を,タテにする tgt_str_arr <- str_replace_all(tgt_str_arr, pattern = "~|-|-|~|ー|-|—", replacement="|") #改行をいれる tgt_n <- tgt_str_arr %>% length blk_arr <- rep( "\n",tgt_n) #同じ長さの改行文字だけの数列つくる ret_str <- c( tgt_str_arr , blk_arr) %>% matrix( ncol=2) %>% t() %>% as.vector() %>% paste0(collapse="") return(ret_str) } #to_tategaki gg_wage2 <- ggplot( data = dfWg , mapping = aes( x = occ , group = union , fill = union, y = lwage)) + theme_minimal(base_family = "Meiryo") + geom_bar( stat = "identity" , position ="dodge") + ylab("テストtextだよー" %>% to_tategaki) + theme( axis.title.y = element_text(angle = 0 ))

y軸のタイトルを上下位置で中央揃えにしたいときは, vjust = 0.5を指定すればよろし。
Enjoy!!
Masseyレーティングで各チームの前半↔後半のレーティング差を可視化してみる(小中本の実践)
気分転換でしかない記事
Introduction
先日名著『科学で迫る勝敗の法則』のメモをとった
ronri-rukeichi.hatenablog.com
感想は上の記事にまとめたが、Massey Ratingの項(4章)をよんでいて、
いくつか試したいことがあったのでRで分析してみる
具体的には、
- 2023年の名古屋グランパスの問題点として「交代選手が点をとれないこと」があげられていたのだが、前半45分だけでの得点差と後半45分だけの得点差を用いて別々にレーティングを算出したらやはり名古屋は後半のレーティングのほうが低いのか
の、検証的なことをしたい。
Massey Ratingとは(小中本より)
Massey Ratingとは「チームのレーティング差が得点差に対応する」というアイディアをそのまま数式に表現したようなシンプルな手法であり、
チームi, j のレーティングをとすると、その2チームが対戦したある試合の得点差
が誤差を伴って
といった形であらわれるという発想の手法である。
詳しくは該当書のpp.154-155を参照してほしいが、
各チームが戦った時のレーティングの差は1, 0 ,-1のいずれかを成分とするK×Rのマッチング行列
(上式でいうところのチームiに1, チームjに-1を割り当ててあと関係ないチームのとこは0となっている行列)
とレーティングのベクトルr_1,r_2,,,,r_Rの積で表せて(左辺)、
それが実際の得点差のベクトルYと誤差ベクトルεの差に一致するので、マッチング(というかインデックス)行列をXとすると
といった形でかける。これは統計を触ったことのある人なら線形回帰を習う時とかにめっちゃよくみたことのある形であって、
誤差二乗和を最小化するようなレーティング(のベクトル)rは、
で求められる。
※統計ソフトなら普通の線形回帰のコマンドとか使ってもいい
なお、Matlabが使える人は、著者である小中先生自身がコードを公開しているらしいので、そちらをみるといい
レーティング算出やちょっと手の込んだグラフなど,MATLAB Onlineを使ってお試しいただけます.ご購入前の検討にどうぞ! #MATLAB #spoana https://t.co/EJdCV9cG9u
— konakalab (小中研究室/名城大) (@konakalab) 2024年1月25日
データ・関数の準備
準備といってもまぁ使うのは得失点(とシュート/被シュート)のデータだけであるが、
(回帰分析的な語法でいえば)「説明変数」がマッチング行列で、それに回帰係数=レーティングが掛かって出てくるのが、「被説明変数」たる得点差という発想なので
- 各チームにインデックスを割り振ったうえで
- 各試合の結果(例えば名古屋2-2G大阪、みたいな)に対応するインデックス行列と、得点差のベクトルをつくる
- 得点差にインデックス行列を回帰して、レーティングを得る
という手順になる

手元にあるデータは上のような構造をしていて、試合×クラブ、すなわち34×18=612のレコードがあるのでひとつの試合について重複データがふたつずつあるので、そこらへんも注意しつつ以下のような関数を組む
関数詳細(R, クリックで展開)
Calc_Massey <- function( dta,score_i = "Goal_For", score_j = "Goal_Against" ){ ## ClubのIndexを付与 clb <- dta[["Club"]] %>% unique() %>% sort() dfClub <- data.frame( Club = clb , Index = 1:length( clb)) ## 得点差ベクトルを得る score_diff <- dta[[score_i]] - dta[[score_j]] ## 自チーム/敵チームをインデックスに変換 idx_i <- data.frame( Club = dta$Club) %>% left_join( dfClub , by = "Club") %>>% (Index) idx_j <- data.frame( Club = dta$Opponent) %>% left_join( dfClub , by = "Club") %>>% (Index) ## インデックスと得点差, 日付だけ dfMassey <- data.frame( i = idx_i, j = idx_j, s_i = dta[[score_i]] , s_j = dta[[score_j]], ScoreDiff = score_diff, Date = dta$Date ) dfMassey <- dfMassey %>% rowwise( ) %>% mutate( idx_min = min( i , j ), idx_max= max( i , j)) %>% mutate(ID = paste(idx_min, idx_max , Date , sep = "_")) %>% ungroup %>% as.data.frame() %>% mutate( s_min = if_else( idx_min == i , s_i , s_j ), s_max = if_else( idx_max == j , s_j , s_i )) ## 重複を除く dfCalc <- dfMassey %>% select( Date , idx_min, idx_max , s_min , s_max) %>% unique() %>% mutate( y = s_min - s_max ) ## インデックス行列を得る index_l <- list( ) for( k in 1:nrow( dfCalc)){ idx_k <- rep( 0 , nrow( dfClub)) #初期化 idx_k[dfCalc[ k, "idx_min"]] <- 1 idx_k[dfCalc[ k, "idx_max"]] <- -1 index_l[[k]] <- idx_k } #for ループ MatMatch <- do.call( what = rbind , args = index_l) dfMatch <- as.data.frame( MatMatch) colnames( dfMatch) <- paste0( "r_", 1:ncol(dfMatch)) dfEst <- dfMatch dfEst$y <- dfCalc$y ## 回帰をまわしてスコアを出る lm_res <- lm(y ~ 0 +r_1 + r_2 + r_3 + r_4 + r_5 + r_6 + r_7 + r_8 + r_9 + r_10 + r_11 + r_12 + r_13 + r_14 + r_15 + r_16 + r_17 , data= dfEst ) #回帰係数を得る(得たあと中心化) coef_raw <- lm_res$coefficients coef_cons <- -1 * (mean(c( coef_raw , 0))) coef_mod <- coef_cons + c( coef_raw, 0) dfRating <- data.frame(Club = dfClub$Club, Rating =coef_mod ) # # return( list( Index = dfClub, # Data = dfMassey, # Calc = dfCalc, # Match = dfMatch , # Est = dfEst, # Coef = coef_mod)) rownames( dfRating) <- NULL return( dfRating ) } #function
この関数で計算すると、だいたい得失点差に沿ったランキングがでる
res1 <- Calc_Massey( dta = j1_stat23)

分析:前後半の得点差からRatingを算出して、くらべてみる
ということで早速前半/後半の得失点のデータだけ使ってMassey Ratingを算出してみる
## 前半のゴール差をもとに算出 res_1st <- Calc_Massey(dta = j1_stat23 , score_i = "Goal_For_1st", score_j= "Goal_Against_1st") ## 後半のゴール差をもとに算出 res_2nd <- Calc_Massey(dta = j1_stat23 , score_i = "Goal_For_2nd", score_j= "Goal_Against_2nd")
このようにして得られたデータをさっきの90分トータルでのRatingとあわせると、以下のような感じになる
| Club | Rating_Total | Rating_1st | Rating_2nd |
|---|---|---|---|
| c-os | 0.139 | 0.111 | 0.028 |
| fctk | -0.111 | 0 | -0.111 |
| fuku | -0.167 | -0.222 | 0.056 |
| g-os | -0.639 | -0.167 | -0.472 |
| hiro | 0.389 | -0.083 | 0.472 |
| ka-f | 0.167 | -0.167 | 0.333 |
| kasm | 0.25 | 0.25 | 0 |
| kasw | -0.389 | 0.083 | -0.472 |
| kobe | 0.861 | 0.278 | 0.583 |
| kyot | -0.139 | -0.028 | -0.111 |
| nago | 0.139 | 0.139 | 0 |
| niig | -0.111 | -0.25 | 0.139 |
| sapp | -0.139 | 0.139 | -0.278 |
| shon | -0.444 | 0.028 | -0.472 |
| tosu | -0.111 | -0.167 | 0.056 |
| uraw | 0.417 | 0.083 | 0.333 |
| y-fc | -0.75 | -0.333 | -0.417 |
| y-fm | 0.639 | 0.306 | 0.333 |
前半データに基づくレーティング得点+後半データに基づくレーティング得点=90分でのデータを使ったレーティング得点になっている。
名古屋(nago)は、やはり前半のスコア(1.139)に比べて後半のスコア(0.0)のほうが低い。リーグ内順位でいうと前半45分はレーティング4位だけど後半45分の名古屋は10位だ。
ほかに面白いところをあげると、
- 後半大きく崩れる柏(kasw, 前半0.083, 後半-0.472)
- 前半苦戦するが後半に盛り返す川崎(ka-f, 前半-0.167, 後半0.333)
などがある。優勝した神戸は当然前後半ともに良い数値だけど、後半とくに爆発しているようだ。
図示すると以下のような感じである

(軸の都合で45°にみえないけど)破線がX=Yのいわゆる45度線で、雑駁に言えば
これより下に位置するチームは前半型、破線より上に位置するチームは後半型といえる。
(また、当然だが左下より右上のほうがよい成績になる)
こうみると、名古屋は確かに前半にくらべて後半45分落ち込むほうのチームではあったけど、札幌・柏・湘南あたりほど極端ではなかった、という感じだろうか。
Enjoy!!
小中英嗣(2024)『科学で迫る勝敗の法則:スポーツデータの最前線』
名古屋サポーター、そしてJリーグファンにはおなじみの小中英嗣先生の新著。
発売日は年明けだが、都内大型書店には既に並んでるとのことだったので早めに入手した*1ら面白くて一気に読了。
すぐに内容を忘れる鳥頭なので、自分用の雑多なメモ
全体に関して
- これはこの本が書かれた意図とは違うかもしれないのだけど、個人的にこの本の素晴らしいところは、「色々なスポーツを観てみたくなること」にあるのではないか、と思った。
- 「あとがき」では著者自身の「飽きっぽい」性格が、雑食的に複数のスポーツを観るという趣味を通じて、この本の執筆につながったと回顧されている。が、私自身はサッカー以外ほとんど興味さえ湧き立たない(オリンピックやその競技の世界大会がメディアに多く取り上げられる時期でさえ)ため、「飽き」がくる段階にまで行かない人間であるので、そもそも色々と観ようとする好奇心があること自体がかなりすごいことに思える。別にこれは阿っているわけではなく、各スポーツの観戦に関して「つまみ食い」の段階にまで行かないような人間は私以外にもたくさんいるはずで、この本はそういった読者にも競技横断的な「データから楽しむ」視点をさまざまな切り口から提供することで、初観戦の第一歩を後押しするような深みがあるように思える。
- 「はじめに」ではスポーツを「身体活動や物体の位置を数値に置き換える営み」と表現している。この本では、その数値への置き換え方のスポーツ間の違い、そしてその「数値への置き換え」をめぐって競技者/ルールの作成者/分析者がどのように振る舞ってきたのかを各スポーツの歴史とともに振り返ることで、観戦欲やさらなる知識欲を惹起することができている。
- 文章がうまいのは当たり前(いやそんなこと私が評するのもおこがましいですが)だけど、構成がとても読みやすく飽きさせないので感心させられる
- たとえば第三章では冒頭に1962年のバスケットボール選手の1試合100点の大記録を提示したあとに、「私はこの記述に含まれる重大の事実に気づくまでにかなりの時間を必要としました」と思わずページをめくってしまうような章のはじめ方をしていて、すげー!っとなった
- 一般向けの入門書として書かれていることもあって、(第四章の後半を除いて)ほとんど数学の知識がなくても面白く読めるのがやさしい。
- 第四章の各レーティング算出手法のところだけいきなり行列式が出てきてびっくりした(統計ちょっとかじってる人なら大丈夫ですが)が、これは入門書としてさらに勉強してもらうことを考えたときに、数式をプログラミングに落としていくための配慮としての意味合いが強いと思う(たぶん)。
- 「イロ・レーティングは計算の手順がシンプルで、プログラミングの練習としてちょうどいい難しさです」(p.151)とあるように、実際レーティングの各手法はとっつきやすさから考えたときに「さらなる一歩」として、適切だと個人的にも思う。
- そういやあんまりプログラミングに縁がない文系学生だった私が独学でプログラミングを始めたのも、教養課程で興味本位でとった数理工学の授業で習ったBradley-Terry Modelを試そうと試合データをScrapingしようと思ったのがきっかけだったので、確かに導入としておあつらえ向きな題材だと感じる
- 第四章の各レーティング算出手法のところだけいきなり行列式が出てきてびっくりした(統計ちょっとかじってる人なら大丈夫ですが)が、これは入門書としてさらに勉強してもらうことを考えたときに、数式をプログラミングに落としていくための配慮としての意味合いが強いと思う(たぶん)。
- 結論:「はじめに」が「名古屋より、名古屋グランパスの優勝を願いながら 2023年12月 小中英嗣」で締められたこの本を、名古屋サポーターが買わない手はないのではないのでしょうか。
気になった/勉強になった部分+感想メモ
- 第1章:野球とセイバーメトリクス
- 「マネーボール」も「アメリカン・ベースボール革命」も観た・読んだので取り上げられていた題材自体はだいたい知っていたが、その結果、(観客目線で)野球が「面白く」なったかどうかというテーマは考えさせられる
- (野球優位文化の愛知で育ったのに)野球全然知らない人間なので、"「打たせて取る」技術"の存在自体がデータから否定される、という話はなかなか衝撃を受けた(p.14)
- 「もっとシビアで重要とみなされたきた分野――例えば軍事技術――から、余ったコンピュータ資源がスポーツという「遊び」に到達した時代が21世紀初頭なのです」(p.31)がかなり印象に残る言葉だった。
- 些末な話だけど「ピタゴラス勝率」って全然ピタゴラスっぽくなくね?と前から思っていたので著者も同じことを考えていて我が意を得たり感があった
- p.39で、AIが人より強くなってしまった将棋・チェスなどに関して「人類が勝てなくなった前後では、そのゲームの特徴が「人間のみ実行できる複雑で知的な営み」から、「他の機械で代替できる営み」へと変わってしまったと感じています」とわりと立場がはっきり表明されていて、ここは個人的にはまだ判断が難しいところだと思っているので興味深く感じた
- 自分は将棋ファンだということもあって、「AIが人間より強くなってしまうと競技の魅力も損なわれるのか」というテーマに関しては結構触れる機会が多い。たとえば大川慎太郎『不屈の棋士』を読むと棋士のなかでもその考えがかなり分かれていることがわかるし、たぶん将棋ファンのなかでも定見がない話題ではないだろうか。
- いまではすっかり将棋中継でおなじみになってしまった「評価値グラフ」が、藤井ブームなどで近年増加したいわゆる「観る将」(=自分では指さない将棋ファン)に対して、リアルタイムでの臨場感の増幅装置としてある程度機能しているのは否定しがたいと思う
- 私の両親も「将棋のルールは知っているが棋力とても低い(解説をきいてもあまりわからないくらい)」のにも関わらず将棋中継を楽しんでいたりするが、これは2010年代前半までの将棋中継では難しかったように思う。
- いっぽうで「AIの推奨手と違う手を指すとすぐに"悪手"や"ミス"と判定する」みたいな観戦姿勢が定着してしまうことで、AIは将棋の奥深さや棋士の努力への正しい理解からむしろ遠ざける方向に作用している、という見方も根強くある。この主張も結構わかる。
- 結局は、「AI > プレーヤー > 観客」という実力序列が明確になったときに、AIとの比較によるプレーヤーの相対化が行われてしまうこと自体は避けられないのだけど、その相対化がどれだけ容易に可視化されてしまうか/どのような形でなされるか、というところにポイントがある気がする。
- 「AIやデータの蓄積の存在がプレーヤー視点での「合理的な選択」をいかにして変えるのか」という点に関しては、下の動画で渡辺九段(当時名人)が藤井聡太八冠の特異な強みとしての「記憶のパワープレー」について語っている動画が個人的に一番示唆深い(動画の33分くらいから)
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- AIが「答え」を示せるところまでは解明が進んだとして、状況-答えのセットの組み合わせがあまりにも多かったり、その分岐が複雑だったりする場合は、そのすべてを人間が記憶したり用意したりするのが難しいので、試合展開が必ずしも画一化するわけではない、というのが含意である(ひとりだけその組み合わせを網羅して「記憶のパワープレー」が繰り出せると八冠になれる)
- スポーツの話に差し戻すと、野球は「状況」がわりと複雑化しない競技なので、この本で書かれているような画一化とその結果としての「何も起きない時間の増加」が起きたのではないかと思う。サッカーは「状況」の定義の仕方や分節化が幾様にもありうる側の競技なので、なかなか画一的影響は受けにくいとは暫定的には思う(せいぜいこの本にも挙げられているロングシュートが少なくなる、くらい)。でもさらにデータ活用が進むと違うことも起きるのかなぁ
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- セイバーメトリクスの「セイバー」が「アメリカ野球学会」の略語だってのを知らなかった
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- 第2章:サッカーのデータ分析
- サッカーについての章だったので、ほぼ既知の内容だった。ので個人的なメモは割愛。
- メモすることがないのは自分がオタクなのが悪いだけであって、一般向け入門書としては過不足ないトピックの選択とわかりやすい解説がありもちろん素晴らしい
- 「はじめに」でも書かれている「サッカーの競技特性がデータ計測や分析を拒み続けきた」という部分は、本当に自分で色々分析しようとすると嫌なほど痛感するところではある(特にJリーグについては、詳しくは大昔に書いた以下の記事に詳しく述べている。いまもほとんど意見は変わらない)
- サッカーについての章だったので、ほぼ既知の内容だった。ので個人的なメモは割愛。
- 第3章:3ポイントシュートの革命
- ルールの設定・変更とその帰結について各競技の事例や意図・帰結を紹介している章
- NBAにおいて得点を増やすために3ptラインをゴール近めに設定したら、逆にDF側が守りやすくなって得点が減ったという話(p.83)が一番面白かった
- スポーツに限らないけど、こういう制度設計・変更の「意図せざる帰結」みたいな話が読んでる側としては一番おもしろいみたいなところはある
- ルールの妥当性やその改訂について議論するとき、競技性だけでなく、「疲労や怪我からの選手の保護」という観点が大事だ(でも我々は忘れがちだ)というのを、試合時間とルール変更の関連性について扱った節(p.92-p.97)を読んでいて改めて認識した。
- 第4章:「順序をつける」巧みな方法
- 小中先生自身の研究例も多く紹介されていて、個人的にとても面白かった&勉強になった章。
- よりよいランキングをどう設計・評価するのか、ということを考える面白さがかなり伝わってくる
- 特に複数種目のスコアを組み合わせて最終順位を決める場合の問題に関してはあまり考えたことがなかったで勉強になった
- ひとつの物差しで測れない複数の結果を「合算」するときに、どの努力とどの努力を「等しい」とみなすのかの重みづけ判断には結局何らかの思想が介入するんだけど、その判断を見通しのよい形で行うためにこそちゃんと定式化・定量化することが重要である、という感想を持った
- t時点でのランキング上の各プレイヤーの位置自体の情報がシードの作成や各大会自体のグレード評価につながって、t+1時点での試合結果やランキングにつながる..という再帰性は多くのスポーツにあるのだけれど、①総当たり制が難しく、②単純な(垂直的な)実力差以外にも大会↔選手や選手↔選手の「相性」が大きく結果に作用する、といった場合に特にランキングの妥当性が問われやすくなりそうだな、という感想をもった
- そういった意味でランキングの重要性が高くなりそうなスポーツであるテニスについて、そのランキングやポイントのシステムの設計の丁寧さを解説しているpp.131-136あたりが本当に面白い。
- ①総当たりが難しくて、②プレイヤー(キャラ)間の相性がめちゃめちゃ大事で、③シードを通してのランキング↔試合結果のフィードバック的影響が当事者からも強く認識されている、という領域として個人的にこの章を読んで思い出したのは「スマブラ」の競技シーンである。「シードを上げて事故を減らすために大会に出る」みたいなことがプレイヤーからも日常的に口にされるので、シードとその背後にあるランキングに関してのプレイヤー側の視線もわりと厳しいイメージがある。
- スマブラでは数年前まで世界/日本で「最も権威のあるランキング」(PGR/JPR)が押しも押されぬ存在としてあったのだが、今は両方とも更新停止されたため、今は複数のランキングが並立していて、シード作成を行う大会運営側もどのランキングを参照するかは試行錯誤している状態である。各ランキングがどういう思想を持っていて、予測指標としてどれくらい有効性があるか、みたいのを比較評価する人がいると面白いと思った。
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jak-amano.hatenablog.com
- 第5章:予測モデルの腕試し
- ただただ読んでて面白い章。
- 勝敗予測にあたって、疲労からの回復度を補正として用いるというアイディア(p.190)が面白いと思った。この疲労度の寄与みたいなものもスポーツ間で違うんだろうなぁ。
- ワールドカップカタール大会をうまく予測しきれなかった要因として「異大陸間の試合の減少」が挙げられている(p.199の図がわかりやすい)が、これは分析者/予測者目線だけでなく、当事者目線でも結構大きい変化だったのじゃないかとふと思った。(それが実際に勝敗に作用したかはまた別の話だが)大陸「内」の試合が増えたUEFAに所属する大国であったドイツとスペインが、日本の実力を測り切れていなかった部分は少なからず2022W杯であったように思う。
- 「サッカーマティクス」は自分も大好きな書で、実際にくじを買ってみる章が好きなのも小中先生と同じなので、その日本版(?)「続編」を読めるだけでめちゃめちゃ面白かった
- 小中先生は過去の得失点だけを予測に使っているから、もしかしたら読者は「もっと多くの変数を使ってもっと複雑な手法を使えば的中率を上げられるのでは?」という反応もありそうだと思った。しかし、個人的な見立てとしては、モデルを複雑に洗練させていっても(多少の改善はあるかもしれないが)劇的には予測精度は向上しないだろう、という気はする。
- 「サッカーマティクス」でもゴール期待値などをインプット情報として用いた予測モデルが賭けにおける判断基準として機能しなかったという話(pp.372-4)が出ていて、著者(D. Sumpter)はそういった細かいデータの利用は戦術理解には有用だが、予測に関して同じくらい有用かといえばそうでない、と結論づけていた。
- 「ある要因が引き起こす結果」(Effects of Causes)に関心がある分析と「ある結果をもたらす要因」(Causes of Effects)に関心がある分析の違いは統計学の応用において近年よく議論されるトピックのひとつ(たとえばコレとか)だが、使用データの拡大や分析手法の洗練を進めていっても知見が増大するのはおそらく前者についての部分であって、「勝敗を規定する新たな決定的要因」みたいなのが急に見つかる可能性は(少なくともサッカーについては)低い、というのが個人的な暫定的見解である。
スポーツを愛している者、そしてこれから新たに愛する者にとって、本棚にあってまず損のない名著だと思われます。
Enjoy!!
『何が投票率を高めるのか』(松林, 2023)
松林哲也, 2023, 『何が投票率を高めるのか』有斐閣
twitterでたまたま見かけて興味がわいてよんだ。
MEMO
1章:何が投票率を高めるのか?
- 国際的にみて、日本の国政選挙における投票率は高くない(たとえば2020年以降の国政選挙に着目するとドイツや韓国は8割弱だが日本は5割)
- 本書の目的:個人属性ではなく環境要因(制度や政治環境など)の効果に着目して、投票率向上を促す要因をさがす。
- 政治環境・制度環境のもつ効果を考える時に、「ベネフィットとコスト」という概念への着目がカギとなる
- ベネフィットを左右する3つの要因(p.11)
- 選挙という民主的手続きに参加する満足感
- 自分が好む政策を実現する政党・候補者が勝つことで得られる物質的・非物質的利益
- 選挙の接戦度(接戦なほど1票の価値がます)
- 「投票行動のパラドックス」(自分の1票が選挙の結果を変える確率はほぼゼロ、にもかかわらず多くの人が投票に行く)の説明要因して、1の「(投票という)民主的手続きに参加することによる満足感」が着目される
2章:投票所が近いと投票に行く?:投票所と投票参加
3章:「投票日、雨の予報」は投票率に影響する?
- 投票コストへの影響を通じて、天候は影響をあたえる可能性がある
- 近年で天候が悪かったのは2017/10/22の衆院選だったが、実は直近にくらべて投票率があがっている
- 事前に台風接近がわかっていたため、投票タイミングをずらした可能性
- 二回のタイミングに分けてベネフィット・コスト判定をする場合、「前もって投票できるという制度設計」をすれば投票率があまりかわらない可能性がある(pp.54-56)
- 分析枠組み
- 悪天候の影響について、以下のふたつの仮説を検討:
- 分析結果:ふたつの仮説とも統計的に支持された
4章:投票啓発活動は投票率向上に効果的?
- 投票をよびかけるメッセージを発信することの効果を検証する意義
- 近年の国政・地方選挙における低投票率への打ち手としての検証の意味
- ポスターなどによる発信が人的・金銭的コストに見合うかどうかの検証の意味
- 総務省が衆院選のときにポスターを作成・配布する理由
- 分析枠組み:フィールド実験
- 分析結果:有意な差は見いだせず
- Rogers et al.(2018, ”Social Mobilization", Annual Review of Psychology, vol69)が提唱する5つの投票啓発の成功条件PANIC
- Personal(個人にむけた)→個人同士のやりとりのほうが促進効果高い
- Accountable(責任を負う)→投票にいったかどうかを可視化した方が効果高い
- Normative(規範的)→社会的な望ましさを認識させたほうがよい
- Identity relevant(社会・自己認識と関連する)→当人が帰属意識を高く感じるようなグループにとっての重要性を認識させる
- Connected(つながり)→ もともと関わりのある人の呼びかけは効果が高い
5章:なぜ地方で投票率が高いのか?
6章::新しい政党の参入は投票率を高める?
- 新しい政党の候補者の登場が、「だれに投票していいのか分からない or 誰に投票しても一緒」と思って投票しない人の行動を変える可能性はある
- 投票行動に関しての有権者の二つのタイプ
- まず投票に行くと決めて、投票所についてから「さて誰に投票しよう」と考えるタイプ(投票コストや投票の社会的価値が重要)
- 特定の政党・候補者に票を投じたいから投票に行くと決めるタイプ(政策・能力に関して候補者間に差異を感じられることが重要)
- 新政党・新候補者の参入は前述の投票の3つのbenefit(民主的手続きの満足感/物質的・非物質的利益/選挙の接戦度)のうち物質的・非物質的利益と選挙の接戦度を通じて投票率に影響を与える可能性アリ。
- 分析枠組み
- 分析結果
7章:女性議員が増えると投票率は上がる?
- 2020年時点で、衆議院、県議会、町村議会の議員比率は約10%。参議院や特別区議会などは比較的高め
- 女性議員比率が高まることは、以下のような形で女性の投票率を高める
- 分析
- 関係ないけど、女性議員率が高いと女性だけでなく男性有権者の投票率が高まる説明について「男性議員と比べると女性議員は清廉でフレッシュな印象を与えるので、このような特徴を持つ女性議員が増えることは議会全体への信頼や手続きの正当性への評価を高めてくれる」(p.143)と学者とは思えないすごい解釈がデータ的根拠なしに書かれていて面食らった。
(8・9章は実分析はないので割愛。投票データに関するバイアスや分析可能なデータの入手の難しさを話すのが8章。9章はまとめ)









