論理の流刑地

地獄の底を、爆笑しながら闊歩する

【備忘】「人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか」

移動時間でナナメ読みしたので、めちゃ簡単なメモ。
個人的に面白いと思った章の、印象に残った箇所だけ抜き書きしとく。

人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか

人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか

  • 発売日: 2017/04/14
  • メディア: 単行本

てか経済学に関しては門外漢すぎて毎回初歩的なとこで躓くので、今更若い頃に買ってた『マクロ経済学 第二版』(浅子ら著)をはじめから読み始めたよね....*1

総評

序章において、編者をつとめた玄田氏が、この本の成り立ちについて述べている(pp.xi-xii)。

執筆者のみなさんにご寄稿の依頼をする際、事前に内容の明確な調整や棲み分けはあえて行いませんでした
むしろ、人手不足という環境にもかかわらず賃金の停滞が続く構造的理由に関する見解を、それぞれの専門的な視点から思う存分にご披露いただくことをお願いしました。


その結果として、本書全体を読んでいただくと、多くの論考のなかに、図らずも共通した内容が発見されると思います。
それは、人手不足にもかかわらず賃金が上がらないことへの、個別の専門知を超えた有力な見解ということでもあります

(個人プレーに走るきらいのある経済学者集団*2を取りまとめられなかっただけの言い訳にも思えるが)確かに各章には内容がカブっている部分もかなりあり、特に

  • マクロ的に『賃金があがらない』ように見えているのは、いわゆる”構成効果”(=賃金が上がっている属性集団の比率が下がり、賃金が下落・停滞しているor平均賃金が低い集団の比率が大きくなっている)が大きい
  • 構成効果の中身としては、非正規雇用層/(再雇用対象の)高齢者層、などの増大の影響が大きい。
  • 逆に勤続している正社員層に関しては賃金は上昇トレンドで安定してはいる
  • (年齢別)人口ピラミッドの影響も大きく、特に団塊団塊ジュニア層の全体平均へのインパクトは無視できない。

といった内容に関しては章を超えて幾度となく出てくる。だからこれが玄田氏のいうところの「有力な見解」なんだろう。
でもこの「有力な見解」って、まぁそうだよな....って感じのが多くて正直言ってもうちょっと頑張ってよ経済学!!って気分になった。
(各章よんだけど、知的な興奮を感じたのは正直最後の16章くらいだった)

あなたたちこの国のBest & Brightestな頭脳なハズなんだからもうちょっとエレガントな説明をだな.....って思っちゃうのは門外漢な読者の贅沢なんですかね。
でも各章を分担した学者の方からすれば、「この分量(だいたい16~20頁くらい)で書けることには限りがあるからね!?」って抗弁したくなるかもだけど。

6章(梅崎修)『人材育成力の低下による「分厚い中間層」の崩壊』pp.85-100

HRM(人材資源管理)論に関して様々な面から面白い実証研究を発表なさっている、

以下の二点が印象深かった。

  • 近年の日本の人事制度改革は、米国にならい「資本市場と労働市場の原理を組織内に取り入れる」改革として捉えられるが、一方で製品・サービス市場の原理を組織内に成り立たせるような従来の日本の好業績労働組織は長期雇用による企業特殊技能の育成を前提としていたので、その両立は「アクセルとブレーキを同時に踏むような自己矛盾」を生み出した(pp.90-91)
  • 非正規化が正社員に与える負の影響として、企業内OJTが円滑に行われないことが挙げられる。

とくに二点目は、単に”非正規化が進むと構成効果で平均賃金が下がる”みたいなありがちな話でなく、非正規労働力による代替がOJTの経験経路までを阻害する、という点に着目していて面白かった。以下引用(pp.93-94)

(引用注:安田宏樹(2008)「非正社員の活用が企業内訓練に与える影響」論文について)
派遣社員や業務委託などの非正規化によって正社員は、難易度の低い定型業務や独立性と標準化の高い業務を担当しなくなる
その一方で、非正規化が進んだ職場の管理業務という難易度の高い新しい職務が任された。
あわせて、非正規化の進んだ後に入社してきた若手正社員には、「周辺」の「易しい」仕事から徐々に「中心」の「難しい」仕事に挑戦するという企業内OJTの経験経路がなくなっていたのである

短期的な人件費の削減が長期的な正社員の育成とトレードオフになっている、という点を描いていてなるほどと感じた。

あと、引用されているYokoyama et al.(2016)に興味がわいた。
過去25年の日本の賃金分布の変化と要因について分析されていて、面白そうである。

7章(川口大司・原ひろみ)『人手不足と賃金停滞の併存は経済理論で説明できる』pp.101-119

手堅い実証のイメージがある川口・原両先生の共著論文...であるが、分析結果自体は正直あまり見るものがなく、
ファクトとして印象に残ったのは、リーマンショック後に訓練(off-JT)受講者割合が正規/非正規を問わずにガクっと(10%ポイントほど)下がり、一人あたり訓練支出も半減された、という日本企業の能力開発に関する悲しい変化(pp.115-117)くらい。

それよりも、もともとは開発経済学の理論であるらしい「ルイスの転換点」の話が面白かった(p.112-113)。
論理は以下の通りである。

  1. 発展途上国の)経済には都市部の工業セクターと農村部の農業セクターの二つが存在する
  2. 農村には余剰労働力が存在する、彼らの賃金上昇に対する労働供給の弾力性はとても高い
  3. わずかな賃金上昇で多くの農村→都市の労働移動が起こるので『工業化が十分に進展して、農村の余剰労働力を吸いつくさない限り、賃金上昇が起こらない』(p.113)


このルイスの転換点の話における「農村の余剰労働力」に当たる層が日本では、女性や高齢者であり、それは性別役割分業や定年退職制度という制度の存在と深く関わっているという話であった。
確かに面白い。

10章(塩路悦朗)『国際競争がサービス業の賃金を抑えたのか』pp.151-164

実証手続きは若干怪しい感じがするというか厳密には仮説の傍証しかできていない気がする論文だけど、アイディアは興味深かった。
彼の仮説は以下のようなパーツによってなっている。

  1. 国際競争に晒された輸出産業(ここでは製造業が想定されている)は、競争により賃金の下方圧力を受ける。また、負のショックを受けたときには雇用調整をするので、その結果その産業の労働者(例:組立工)は職を失うことになる。
  2. 対人サービス(ここでは介護サービス業などが想定されている)の従事者(例:ホームヘルパー労働市場と組立工の労働市場二つの市場の間が往来可能だと仮定すると、離職した組立工はホームヘルパーの市場に参入することになり、たとえ対人サービスの市場に対して需要増があったとしても賃金上昇の効果は限定的になる。

この仮説の現実的な妥当性を検証するうえで、
【仮定①】二部門(製造業/対人サービス業)の労働の代替性がある
【仮定②】労働者が対人サービス部門に流入してきたときに賃金が押し下げられるという賃金の伸縮性がある

の二つの仮定をデータから検証しているのだが、それがリーマンショック後の各産業の求職状況や賃金の分析(「イベント分析」と称されている)によってなされているのが、少しどうなんだろうかと思った。
たとえば仮定①は、リーマンショック後、輸出産業(機械組み立てなど)で有効求人が落ち込み、対人サービス(「社会福祉専門の職業」など)への求職が増えたことから、支持されるとされているが、本当に前者から後者からの労働移動があったかはこのデータだけからはわからず傍証でしかないのではなかろうか。
仮定②に関しては、対人サービスの職種でリーマンショック後に賃金が下落しなかったことから棄却、とされているがそれは本来(=異業種からの流入がなかったとき)の水準との比較で判断なされるべきであって、賃金が下落したかどうか、という単純な変化の有無で判断できないのではなかろうか。

....という実証面の不備があるものの、「一部産業に対する国際競争の影響は、他産業における雇用にも波及する可能性がある」というベースのアイディアは面白く感じた。

11章(太田聰一)『賃金が上がらないのは複合的な要因による』pp.165-181

大胆に単純化されたモデルによる分析でバッサリ経済現象を斬ることでおなじみの、人呼んで*3「辻斬りの聰一」こと太田先生の章。
ずばりタイトルからして「賃金が上がらないのは複合的な要因による」と来ました。
”そりゃそうだろ!!”って全読者が心の中でツッコミを入れたのではないかと拝察しますが、それを許さない貫禄があります。

ということで、彼の分析・主張の要点を整理。

  • 団塊世代をはじめとする高齢者層の非正規雇用への参入が賃金上昇に対して抑制的な効果をもった(pp.166-168)
  • (名目)賃金上昇率の時系列変動(1982~2015が対象*4)は物価上昇率(回帰係数: 0.44)、完全失業率(-0.79)、平均勤続年数の伸び(0.024)、労働生産性上昇率(0.36)による回帰で92%が説明できる(pp.170-171)
  • 負の世代効果(=「給与水準が多世代に比べて相対的に低くなった世代は、それ以後も相対的劣位が続く」効果)が直撃した「団塊ジュニア」世代(71~74年生)は不安定なキャリアを積んできたため能力開発の機会に乏しく、その結果前の世代と比べて大きく賃金水準が下落してしまっているが、その層は人口的なボリュームも大きいことから平均賃金の足を引っ張っている(pp.172-176)

まぁ割と知られている事実ではありますが、「前の世代と同じ年齢に差し掛かった時に同じ給与水準に届かない」とことを示した176頁の図はインパクトがある。
停滞どころから右肩下がりの労働社会に突入している、と。

16章(上野有子・神林龍)『賃金は本当に上がっていないのか:疑似パネルによる検証』pp.267-284

この章が個人的にはダントツで面白かった。統計数字のカラクリを解くって感じで。

話の要点は簡単である。
マクロで観察される平均賃金水準の変化とは、継続勤続者の賃金水準の平均的変化と、引退者と新規参入者の平均的賃金水準の差から合成される指標である。
したがって、平均賃金が伸び悩んでいるように見えるのは、後者の効果が前者の効果を上回るという、単純に統計的なトリックである可能性がある(p.269)

これがこの章の基本的なアイディアである。目の付け所がシャープである。
日本社会においては、年功賃金体系が普及していることから、引退者(=高齢・長期勤続者)の平均的賃金が若年の新規参入者の平均的賃金と大きな乖離をもつ。
この差がマクロ的な「平均賃金」に与えるインパクトは通常小さい(と考えられている)のであまり問題にはならないが、
「ただでさえ、少子化の影響から新規参入者が減少気味だったところに、2007年前後から、団塊の世代が60代にさしかかり引退過程に入ると、この乖離が一層増幅されてしまったとは考えられないだろうか」(p.269)という疑念を持って分析を行っている。

だから一言で平たくいうと、全く質の違う変動を混ぜて「全体」を分析しているのってナンセンスでは?というのが著者らの提案である。

彼らは賃金センサスの個票データから、同一事業所において同一人物と同定できるケースを接続して「疑似パネル」データをつくり、まず勤続者だけの賃金変動を推定している。
すると「かなりの被用者が負の変化、つまり賃金の下落を経験していた」(p.273)いっぽうで、雇用継続者における時間あたり賃金の平均の賃金増加率は4.1%であり「全般的に不況期といわれ平均賃金の減少がデフレの元凶といわれるわりに上記のように個別に個人をみると、時間賃金が増加した被用者も少なくないと解釈するべき」(p.273-4)であると結論づけている。

続けて、1993~2012の賃金変化をいくつかの要因に分解した結果、入職者と退職者の平均賃金差がマクロとしての「平均賃金」に与えるインパクトが推定されている。
新規参入者・退職者の時給はそれぞれ1217円/2010円であって、この差を埋めるには新規入職者の労働時間を86.7%増やすか、時給を2.87倍にする必要があるという。
このインパクトは先ほど述べた平均4%ほどの勤続者の賃金上昇では相殺しきれないものであるので、全体としては「賃金が下落してしまう」との結論が導かれてしまう

ただし、この章にも以下二つの疑念は残るところではある。

  1. 疑似パネルにおいては勤続年数1年未満の被用者は除外されてしまい、さらに近年の雇用の流動化から考えればその割合は大きくなっていると考えられるが、彼らをのぞいた勤続者の賃金の平均変化をもってして「賃金が上昇していた被用者が多数を占めていたのが現実的だと解釈できる」(p.276)とするのはどれだけ妥当であるのか。
  2. 経済状況の変化に対して企業がとる対応が、価格調整だけでなく数量調整(労働時間の伸縮)によってもなされることを考えると、「時間当たり賃金」を用いる妥当性はどうなのか。

しかし、総じて完成度が高く、面白い章であった。

Conclusion

こうやって書き出してみると、やっぱり各論レベルで面白い視点はたくさんあったから、それだけで一つの書の価値としては十分なのかもしれないな~。
従事する内容や職業こそ違えど、16章の上野・神林論文みたいな、定着した「見方」の流れをかえるような仕事をしたいな、と思いました。



遥かなる道 / アンダーグラフ

Enjoy!!

*1:やっとp.200くらいまできた

*2:「工学部ヒラノ教授」シリーズに毒されすぎたイメージである

*3:私しか呼んでないです、すみません....

*4:この時期が対象となっているので失業率⇔賃金上昇率は負の相関をもっているが、いわゆるフィリップス曲線のフラット化が指摘されている00年代以降に限定したら色々変わってくるのでは、という疑念はある