論理の流刑地

地獄の底を、爆笑しながら闊歩する

羽生二冠のジグソーパズル

羽生善治 闘う頭脳」pp.333-334, 沢木耕太郎氏との対談より。
どうやって羽生さんは将棋を研究しているのか?と訊かれた時の応答。

沢木:
今流行している戦型があったとして、あそこでこうじゃなくてああ指したらどうなるのか、ということを考えるわけですか。
羽生:
そうですねえ....。私の場合、何か課題があって、それを解決しているというより....、もちろんそういうこともするんですが、それより、たとえばすごく大きなジグソーパズルがあって、その中に一つピースを置いてみる、ということに近い気がします。
沢木:大海に浮かぶ小舟のように、まっさらなジグソーパズルの台にピースを一つだけおくんですね。
羽生:とりあえず一つ置く。
沢木:とりあえず?
羽生:ええ、とりあえず一つ置いてみて、まあ、見当違いで何の実りもないことが多いんですけど、でも、もう一つ、もう一つ、と置いていくうちに、ときどき「あ、全体像はこういう感じになるんじゃないかな」と分かる瞬間があるんです。


羽生さんが将棋を考える時、ひとつのピースにあたる「思考の単位」は何なのかわからない。

しかしある少数のピースを置いてから、関連のありそうなピースを置いていって、
そこから生まれる意味のネットワークを感じ取る、っていうアプローチはわれわれにもできる筈だ。

沢木:
なんか、それはすごい話ですね。百に一つか、千に一つかわかりませんけど、とりあえず置いた一つのピースから、全体が見えかかることがあるんですね。
羽生:
ええ、途中で消えてしまうことの方が多いですけど。
沢木:
でも、その一つのピースを置くことからすべては始まるんでしょうね。

天才でもない我らが、新しい知を、発見を、生み出すためには、
どういう絵になるかわかっていなくても、ピースを置いていかなくてはならない...

羽生:
つまり、私は、「こういう局面でどうするか」という個別の問題より、全体像としてこんな感じの絵になるんじゃないかなあ、とか、こういう捉え方をすればいいんじゃないかな、と、「考える」というより「捉える」ということをしているときが多いです。


あっ、これは天才だわ(察し)